竹本修三『ぼくの戦後 回想の秩父』

 秩父で幼少期を送った著者による、敗戦から戦後すぐにかけての秩父市内がいきいきと描かれている。

 著者は秩父で生まれ、大学から京都に移られたようだが、自分と正反対の動きをされているのが、不思議だった。



 町とはどんどん変貌するものだ。

 子どもが遊ぶ行動範囲は広くないが、おとなと違って、遊ぶところが自分にとっての世界のすべてだから、地域は、大人にとってのそれよりさらに濃密である。

 かつて見た風景は記憶されているが、目の前にあるのは変貌した町であり、知らない人ばかりだ。
 そんな現実の前に立って、自分の記憶にある町が、現実には存在しなくなったことを得心させられる。

 秩父暮らしも30年を越えたから、自分の見た30年前の秩父の町もすでに、過去と化している。
 現在は存在しないが、かつて見たことがあり、本書に登場する風景がずいぶん多い。
 養蚕やセメント採掘や鉱山など、かつてこの地で繁栄した花形産業の衰退が、地域の変貌に拍車をかけている。

 本書には、戦後すぐの時期に秩父事件に関心を持って秩父市内に移り住んできたという人物が登場する。
 この人が秩父で何を生業として暮らしていたのか、秩父事件についてなにか調べたのかについては、子ども時代の著者に関心のあろうはずはないから、何も書かれていない。

 しかし戦後すぐと言えば、秩父事件を目撃した人々がまだ、存命だった時代である。
 秩父事件がまだ記憶の中にあった時代だが、大きな声でそれを語ることはできなかったのではないか。

 「九鬼さん」というこの人の家は、秩父事件研究者だった故中澤市朗氏宅のすぐ近くである。
 何かの関連があるのかもしれない。

(ISBN978-4-7765-3371-9 C0195 P600E 2012,9 日本文学館 2012,9,30 読了)