小松裕『真の文明は人を殺さず』

 田中正造の言葉が今、どういう意味を持っているかを考える本。

 この読書ノートは、ここ16年ほどの間、本を読みながら考えてきたことを綴っているのだが、正造が語ったことを幼稚ながら自分も考えてきたことを確認できた。

 ここ20数年ほど、関東を中心に列島各地の森をなるべくディープに見て回り、(近年とんとご無沙汰だが)奥秩父を中心に渓流で遊びつつ山・渓・人のつながりを見聞きしてきた。
 そこで得た結論は、日本列島の多様性である。

 この列島の特徴は、志賀重昴が明らかにしたように、山岳と水蒸気の多さという二点にまとめることができる。
 山岳にも低山から高山まで各種あり、水蒸気は季節風を始めとする風の力で雨となる。

 山岳のでき方は一様でなく、プレート移動に伴う隆起でできたものと火山とがあり、浸食の度合いもまちまちだから、一口に山と言っても多様である。
 従って、平野の土質も、山岳の浸食に伴う沖積土から火山灰まで多様でなおかつ、それらが混合されたところも少なくない。

 山岳の存在が風の流れを規定するから、土質・気温・日照・降雨の自然条件はほんの数キロ離れれば全く異なり、自村の農作業のやり方は、となり村では通用しない。
 技術の妥当性が、相対的なのである。

 だから、この列島で暮らす知恵・技術の真理は、地域にしか存在しない。
 「日本はこうである」というような言い方をするのは、インチキの言であると思ってほぼ、間違いない。

 滅亡の予感がしだいに強くなるこんにち、この「国」が現在あるような姿へと突き進んでいたさなかに、それは間違いだと指摘した田中正造の言は、著者が言う通り、列島のあるべき姿への示唆にあふれている。

 だが一方で、田中正造が、幕末から明治にかけて生きた人だという事実が、じつは重い。
 それは列島の民が、100年前にこれだけの思想を持ちながら、哲学と知恵と技術をひたすら退化させ続けてきたことを意味する以外の何者でもないからだ。

(ISBN978-4-09-388208-8 C0095 \1400E 2011,9 小学館 2012,7,30 読了)