浪川健治『アイヌ民族の軌跡』

 アイヌ文化の成立は15世紀ごろという。

 この文化が分布していたのは、現在の北海道を中心とし、サハリン・千島・東北北部と、かなり広範囲にわたっていた。

 例えば現在の埼玉県域にもアイヌ語地名があるなどという言説があるが、例えそれがそうだとしても、アイヌ民族が本州の広範囲に住んでいたというようなことを証明するものではない。

 アイヌ文化は、上記の地域の自然や社会によって育まれたものと限定すべきだと思う。

 アイヌ民族自身による国家形成の動きが最後までなかったのは、北海道島の山・川・海の恵みがあまりに豊かで、生産手段独占がなされにくかったこととともに、江戸時代に松前藩によって、北方特産物生産に特化した暮らしを強いられてきたことが、その原因としてあげられよう。

 江戸時代のアイヌ民族は、松前藩と和人商人によって収奪され、大規模な抵抗の動きも何度か存在した。
 その際に民族としての結集が図られれば、その後の展開も変わったと思われるが、民族的なまとまりが形成されないまま、明治政府による北海道島と千島列島の一方的な領有が、何らの抵抗もなく、強行された。

 その後の歴史は、『近代日本とアイヌ社会』などに記されているとおりである。

 著者が言われるように、日本列島には、「二つの民族と三つの大きな文化がこの列島弧の上に存在し、文化接触が繰り返されていた」のである。
 文化に優劣が存在しないのもまた当然であり、「日本」の公教育において、「日本」文化をこの列島におけるメインストリームであるかの如きとりあげ方をするのは不当であることも、言うまでもない。

(ISBN978-4-634-54500-7 C1321 \800E 2004,8 山川出版社  2012,5,8 読了)