新崎盛暉『現代日本と沖縄』

 明治維新から現在に至る沖縄略史。

 特に新たに論点があるとは思えなかったが、沖縄「返還」以降の基地依存経済構造の形成については、認識を新たにすることができた。

 復帰前の米軍用地は、アメリカ軍が銃剣を用いて取り上げ、安価な賃貸借契約を強要して使っていた。

 復帰後は、米軍用地は、地位協定に基づいて、日本政府がアメリカ軍に提供する形となった。

 基本的には国内法が適用され、政府は米軍用地の地主との間に賃貸契約を結ばねばならなくなった。
 用地提供を拒否する地主に対しては、公用地法ついで米軍用地特措法という沖縄をターゲットにした差別的な法律を適用して、引き続き、アメリカへの軍用地提供を続けたが、用地の賃貸料は、復帰以前に比べて、大幅に引き上げられた。

 軍用地料が6倍に引き上げられ、協力謝礼金を含めると、同一面積から出荷されるサトウキビ買い上げ価格の1.6倍に匹敵する補償が行われると、米軍基地の地主は、土地提供だけで「食っていける」収入を保証され、地主は基地容認派に転化させられた。

 札束で、基地反対派を基地容認へと転向させたのである。
 軍用地料はその後も引き上げられ、基地周辺整備事業などのバラマキもあって、自治体の財政が、基地なしには成り立たないものへと変質していった。
 その点で依存構造としては、ダムや原発と酷似していることに注意したい。

 インフラ整備を目的とした各種振興計画という名の公共事業は、農林漁業や製造業より建設業中心の歪んだ経済構造を展開させ、結果的に沖縄経済は、他県比格段に高い失業率という泥沼にあえぐこととなった。

 地域の特色を生かして前向きに生きていこうとする若者はたくさんいる。
 彼らが、地域で誇りを持って暮らしていけるには、基地中心の経済構造の根本的な転換が求められる。
 アメリカ軍基地は今、沖縄経済の最大の障害物と化している。

(ISBN4-634-54660-4 C1321 \800E 2001,9 山川出版社 2011,10,20 読了)