五味文彦『中世社会と現代』

 中世という時代の魅力は、民衆が自分の人生を生き生きと生きている点にあると思う。

 いつの時代にも、民衆は生き生きと生きていたのだろうが、中世の史料からは、支配され管理されるだけでない、民衆の姿を、垣間見ることができる。

 もちろん、たとえば近世と比べて、中世の方がリスキーで残酷な時代だったことは、事実だと思う。

 著者は、「日本列島の各地に地域社会が形成され、それらが内的・外的交流を経て成長していったのが中世社会の大きな特色である」と述べ、大きな地域社会として、「鎌倉幕府を生んだ東日本の社会」「古代以来の文化的伝統を背負った西日本の社会」「独自の交易世界を築いた北の社会」「あらたに貿易国家を形成した琉球の社会」をあげておられる。

 「日本」の中世が権門体制国家だったかどうかについて、自分で判断する力は持たないが、通説でも、遅くとも応仁の乱の段階で、権門体制国家としての「日本」は崩壊したとされているようだ。

 著者が述べる上の地域社会とて、列島の一部をグローバルに支配できていたわけでなく、権力の規模は、「教科書」史観が考えるよりはるかにスケールダウンしていた。

 小権力者たちは、のちの時代と比べればずっと狭小な地域を支配しており、被支配者との関係も厚かっただろうし、また、被支配者が逃散できる可能性も、近世よりずっと大きかった。

 同時に、小権力者の権力による秩序維持も不十分だった中世においては、近世のような民衆保護が行き届かず、民衆は、自分の暮らしや命を自分で守らねばならなかった。
 それは、暮らしや生産や、信仰など、さまざまな面で、民衆が自己の裁量で生きていく部分が大きかったということでもあった。

 山歩きで出かける各地には時おり、、巨大な伽藍・無数の塔頭をもつ寺院があって驚くことがある。
 寺院は、経済的な裏づけがなければ存続できないから、近世以降、廃滅した寺院も多いはずだ。

 史料的に困難ではあるが、中世の武蔵や信濃、越後などについて、さらに研究が進めば、「教科書」史観とはまったく異なる中世史像を得ることができるのではないだろうか。

(ISBN4-634-54330-3 C1321 P800E 2004,4 山川出版社 2011,8,5 読了)