森浩一『地域学のすすめ』

 史料の少ない古代史において、「日本史」から自由であることはむずかしい。
 作為に満ち満ちた歴史の虚偽を砕くのは、モノに依拠して書かれた歴史以外にはないだろう。

 「地域」とは、「中央」と対比された範疇でなく、それ自体が自律的な歴史を持つ範疇である。
 「中央」と無関係ではないが、「中央」が存在しなくても存在したのが、著者の言う「地域」である。
 「中央」が「中央」たりうる正当性には、何の根拠もない。

 繰り返しになるが、書かれた歴史の史料的価値は低い。
 それは、何かを隠し、何かを捏造しているからである。
 しかし、それがまさに書かれているがゆえに、あたかも根拠あるものであるかのような説得性を、歴史は備えている。

 書かれた歴史の行間に隠された真実を、モノに依拠しながら綴っていくというのが、古代史であるべきなのだが、戦後の「日本(古代)史」もおおむね、書かれた歴史に沿って書かれてきた。

 高校の学習指導要領は、「日本」の過去と現在を教えよと指示している。
 その場合の「日本」とは何かについて、文部科学省の講習会に行ってきたというお役人さんに尋ねてみたら、「そのような質問にお答えする立場でない」とのたまった。
 自分にもわからないものを教えなさいというのが、埼玉県あたりの教育委員会のレベルなのである。

 本書には、関東・東海・北九州・瀬戸内海・津軽海峡の両岸などが、独立した地域的まとまりとして存在したことが、発掘されたモノを手がかりとして、活き活きと記されている。

 この列島で最初に存在したのは日本でなく、地域的まとまりだったのだから、本書のような形で、列島の古代史は書かれてほしいと思う。

(ISBN4-00-430793-7 C0221 P700E 2002,7 岩波新書 2011,6,28 読了)