姜尚中『悩む力』

夏目漱石とマックス・ウェーバーを例に、とことん悩むことの意味を説いた書。

 だが、著者の言説の中で印象的だったのは、科学の「進歩」にもかかわらずひそかに生き延びた「土発的な知」なるものの価値を否定されていない点だった。

 著者は、前近代的な慣習や伝統と共に生きる人生は、循環を繰り返している自然の摂理と相応する、という。
 そしてそのような人間は、生きるために必要なことをほぼ全て学んで、満足して人生を終えることができるが、激しい「進歩」の中に生きる現代人に、そのような生き方はもはやできない、と考える。
 なぜならば、自由の獲得という「進歩」と引き換えに、慣習や伝統が崩壊したからである。

 著者の論を否定する力は持たないが、肯定もしかねる。
 というのは、前近代的な人生なるものとて、著者が述べるような「輪廻」のごとき無限循環ではないと思う。
 前近代の人生が「輪廻」だというのは、近代人の偏見であり、知的な奢りである。
 どの時代の人生であっても、人の一生は、よりよい結果を求める試行錯誤の連続にほかならないから。

 近代人の不安は、自由を獲得したところから発生するのではなく、知的な「進歩」がときに独り歩きするため、どのような知的基礎の上に自己が存在するのかというアイデンティティが不安定だというところに起因するのではないか。

 自分の中にある哲学や文学や歴史学が、累代にわたって祖先が築いてきた知や技と、どのように連続するのかが重要なのである。
 積み重ねられた知や技をきちんと継承しないで、どうやってひとりで歩いていけようか。

 ニーチェは、何ものにも依存せず「一人で歩け」と強弁した。
 彼の人間讃歌は美しく魅力的だが、自分がどこから来たのかさえ説明できなくては、自分の存在理由は語れない。

 なんの言葉も残さずして命を極限にまですり減らし、さらに放擲までした名もなき古代・中世の修験者の思惟に、どんなに深い悩みやいかにむ驚くべき真実が存在しなかったかは、誰にもわからない。

(ISBN978-4-08-720444-5 C0236 \680E 2008,5 集英社新書 2011,1,8 読了)