立松和平『大洪水の記憶』

 濃尾平野下流部の輪中地帯における、洪水と河川改修の歴史を概略した本。
 タネ本はおおむね、国土交通省の出版物のようだ。

 権力は、生産力の高い地域に発生するという史的唯物論の説は、間違いなく正しいと思われる。
 権力の発生を社会の「発展」と見るかどうかは、議論の分かれるところにはなるが。

 日本列島で言えば、最初の中央集権国家は、近江盆地・大和盆地などの穀倉地帯に成立した。
 本書の舞台である濃尾平野も、権力の帰趨を決する重要な土地だったのであり、近世の幕藩権力は、ここから生まれて「日本」全国を掌握するに至った。
 生産力という点で、濃尾平野は、関東平野にまさっていたのではなかろうか(この点未確認)。

 著者は、国土交通省に人的・資料的によほど依存しながら本書を書いたと見え、濃尾平野の民衆の暮らしは「水との戦い」の歴史だったと、安易に断定する。

 サブタイトルに「木曽三川と共に生きた人々」とあるから、水と共に生きた地域の民の歴史が記されているのかと思ったが、そうではないのである。

 戦国時代に、最も高い生産力を誇ったと思われる濃尾平野の農業生産を支えたのは、木曽三川にほかならなかった。
 濃尾平野西部の地盤沈下が現在ほどには進行していかなったにせよ、輪中の民は、三川を灌漑に利用したのはもちろん、洪水ともうまくつきあいながら、輪中地帯らしい暮らしを築きあげてきたはずである。

 織田信長が、長島一向一揆を妥協なく粉砕したのは、彼のめざす権力のあり方にとって一向一揆がどうしても許せない存在だっただけではなく、彼にとって、濃尾平野は必要不可欠の経済基盤だったからだろう。

 三川とともに生きるということは、洪水といかに折り合いをつけながら暮らすかということである。
 洪水は、田畑を破壊し家屋を破壊するが、多くの場合、生命まで奪われるわけではない。
 本書にも、伊勢湾台風で人的被害を出したのは、近年の干拓地だったということが記されている。

 洪水による被害を極力小さくする暮らし方がありえたはずだし、洪水を巧みに利用した農業の仕方がありえたはずである。
 洪水による被害はあっても、三川利用によるメリットのほうが大きいから、ここに、村が成立したのである。

 国土交通省の資料は有用だが、それにもたれかかってしまうと、水や自然とともにあったかつての暮らしは克服の対象とされ、河川改修バンザイの結論に導かれる恐れがあることを警戒しなければならない。

 関東地方の防風林として植えられているスギやケヤキは、堆肥原料でもある、等という無神経な記述も目についた。
 ケヤキはよい堆肥原料だが、スギが堆肥にならないことは、常識である。

 サブタイトルは興味を引くが、内容的には不満の残る本だった。

 ちなみに著者は、1990年前後のバブル期に二度、秩父地方で講演会を開いたことがあると記憶する。
 二度とも、秩父でリゾート開発を主導した第三セクター・「秩父開発機構」が催したものだったように思う。
 講演会には参加しなかったから、著者がどのような話をされたかは承知していない。

 しかし、リゾート開発の本質を批判するような議論をする人であれば、第三セクター(実質はリゾート法の本丸・西武=国土開発だった)に呼ばれるはずがない。
 どのような話をしたにせよ、秩父の自然を切売りし、土地を詐欺同然の高価格で売りまくったあげく、利益があがらないとなればさっさと撤退した開発業者のお先棒を、この著者が二度も担いだ事実は、忘れることができないでいる。

(ISBN978-4-901679-31-2 C0051 \700E 2007.2 サンガ新書 2010,3,10 読了)