寺林峻『富士の強力』

 1935(昭和10)年から1994(平成6)年まで吉田口で強力(案内人)をつとめた小俣彦太郎の評伝。

 富士山は、特異な山である。
 日本列島で最高の山であり、しかも地形図を見ればわかるように、極めて急峻でかつ、落石の可能性も高いガレ山であるにもかかわらず今、富士山に登ろうとする人々の殆どがハイカーでなく、単なる観光客なのである。

 実際には、高所障害に伴う循環器異常によって死んでしまう人がかなり存在するらしいが、軽装・体力不足のまま富士山にとりつく人がほとんどだ。
 日本に住む人々の殆どが下界の平地でしか、まともに生存すらできないにもかかわらず、それを「普通」と考えて疑わない。

 昔の人は山を「異界」と考える良識を備えていたから、富士山で死ぬなどという罰当たりなことはあまりなかったのだろうが、今の人間は、自分がどういう存在なのかわかっていない上、できることとできないことの区別もわからない。

 富士山の強力は、ガイドしながら客の荷物を担ぎ、体調不良の客が出たら容態を観察しつつ進退を判断し、場合によっては客を背負うこともしたという。

 小俣の青年期まで、富士登山に訪れる富士講の講社は多かったらしい。
 富士講は、修験ほど孤高の修行に沈潜するわけではないが、富士山の崇高さを体感し、山と一体化することによって自己の穢れを払拭し、精神を清浄化する信仰だったようだ。

 もう少し楽しみの面があってもいいように思うが、山に向き合う姿勢は、かくあるべきだろう。
 この姿勢を小俣は富士講の登山者から学び、大衆ハイカーに伝えてきた。

 富士山の山頂には一度だけ、行ったことがある。もちろん、本書を読む以前だった。
 登り方としてはもっとも貧しい、五合目駐車場からの高速ピストンだった。
 周りの登山者の数はどうにもならない程でもなかったが、ほとんどがズック靴や半ズボンなど、観光の延長として来ている感じだったし、そもそも日本人より外国人の方が多いように見えた。

 富士山麓には、年に数度はきのこウォッチングに出かけている。
 いつも日帰りだから、余裕のないウォーキングが多いが、きのこ採取目的の人々が捨てるゴミの多さに辟易する。

 本書には言及されていないが、富士山は、山腹に北富士・東富士と二つの自衛隊演習場を持つ。
 また、アメリカ海兵隊のキャンプ富士も、同じく富士の山腹にある。
 富士山の霊力を大切に思うならば、重火力で山腹を蹂躙するなど、以ての外ではなかろうか。
 富士山に限らず、山岳信仰の対象である山を大切にする心情が、この国の為政者には欠如している。

 ハイカーもやはり、心して山に登るべきである。

(ISBN4-8083-0645-X C0075 \1500E 1998,7 東京新聞出版局 2010,2,4 読了)