王慶祥『溥儀・戦犯から死まで』

 愛新覚羅溥儀の後半生を描いた評伝。
 出生からソ連軍による逮捕まではこの本には記されておらず、本書のテーマが溥儀の人間的「改造」だということがわかる。


 日本が作った傀儡国家である満州国の皇帝(当初は執政)だった溥儀は戦後、日本への逃亡を試みたようだが失敗してソ連軍に逮捕され、のち中華人民共和国に戦犯として引渡された。

 日本は、満州を事実上の植民地とし、日本軍(関東軍)を使って武力支配した。
 満州において日本軍の犠牲となった人の数は不明だが、中国人総犠牲者1000万人の相当部分を、満州の人々が占めていると思われる。
 「治安」対策の一環として殺害された人々や強制労働で殺された人々以外に、「開拓団」入植に伴い土地を追われた人々も多かっただろう。
 日本の国策会社が満州に多大な投資を行った結果、工業面での開発は進んだかもしれないが、潤ったのは現地の人々でなく、資本の側だった。

 満州地方にとって、「満州国」時代とは、苦難の時代以外の何ものでもなかった。
 その時代に、日本統治の最大の協力者だったのが、溥儀だった。
 満州を中国の一部と考えるかどうかという問題はさておき、中国にとって溥儀の前半生は、一己のために国を売り、敵に終始、奉仕したというほかない。

 その彼が、中華人民共和国に戦犯として裁かれたのは当然と言える。
 ところが、この本を読む限り、中国政府は溥儀に対し、ほぼ一貫して同情的なのだった。
 溥儀はもちろん、自分の罪を極力軽く見せるべく、必死の言い訳とごまかしを試みるわけだが、中国当局の「温情」によって溥儀の自己認識は、ドラスティックに変容していく。

 これを洗脳と呼ぶか自己認識の深化と呼ぶかは、考え方次第だが、日本が満州で何をしたか、満州国がどのような役割を果たしたか、溥儀がどのような役割を果たしたかをひとつひとつ確認していくことによって、自分が何ものであるのかを再認識できたとすれば、これは特異な環境下で育った人間の再生過程を示すものだといってよいと思う。

 溥儀のポートレート写真が何枚か残されているが、満州国時代の彼には表情が全くないのに対し、戦犯時代以降の彼を見ると、とてもにこやかで屈託が感じられないのも、そのことを証しているのではなかろうか。

 読んでいて気になるのは、周恩来が実際以上に美化されているのではないかという点である。
 周恩来という人の人物的な大きさは理解できるのだが、溥儀らに対し温情的に接するというという方針は、毛沢東や周恩来が独断で決めたわけではあるまい。

 本書に登場する中国共産党の指導者の多くは、毛・周を除き、文化大革命で失脚している。
 戦後、中国共産党が体制として、ヒューマニズムを体現していた時期があると思う。

 人間として溥儀を再生させることができたのは、毛・周らの言うように、奇跡的なことだった。
 その奇跡がいかなる必然によって可能となったのか、知りたいところだ。

 文革期に旧戦犯がいかなる迫害にあったのか、本書では詳述されておらず、中国の公式見解に沿った一般論が述べられているに過ぎない。
 中国の歴史にとって、この点についても、きちんと明らかにすることが必要である。

(ISBN4-311-60325-8 C0023 \2200E 1995,10 学生社 2010,2,1 読了)