岡義武『山県有朋』

 明治の「元勲」であり大正末期まで「元老」として日本の政治を牛耳り続けた山県の伝記。
 コンパクトだが、的確でわかりやすい記述で、読み応えがあった。


 これを読んでいると、明治時代の政治家にあって現在の政治家にないものが見えてくる。
 その最たるものは国家的戦略であり、次いで互いに徹底的に議論する真剣さだろう。

 山県有朋や伊藤博文らには、外交・内政・軍事を通じて作りあげるべき国家像があった。
 それは、攘夷論の時代以来、彼らが共有した植民地化への危機感を背景にした、軍事強国日本という姿である。

 彼らの世界情勢認識は、リアルでしなやかだった。
 日本の中央集権化と軍事最優先の国家づくりという「近代化」路線が、19世紀半ばの東アジアにあって最も現実的な選択だったことは、認めなければならない。
 この「近代化」が犠牲にしたものの大きさを、忘却してならないのは、もちろんだが。

 山県にとって、現役政治家時代の最大のライバルであり同志だったのは伊藤だったと思われるが、彼らはじつにしばしば、激論を直接戦わせ、また手紙を交わして議論している。

 「元老」時代の若齢の好敵手は、原敬だったようだが、山県は原とも、政略上の諸問題について、あらゆる機会に議論を戦わせている。

 今の政治家には、山県らにあった政治家として基本的な資質が、全くない。

 人間としての山県は、とても好人物とは言えず、派閥を形成する陰険な策略家だった。
 自由民権運動を憎悪した点では、明治政府のなかでも急先鋒の立場にあったと思われる。

 従って、国民には愛されなかったが、巨大な政治家だったことは間違いない。

 大正末期の山県は、アメリカとの協調を主張していたらしい。
 一方で、満蒙利権にも大きなこだわりを持っていたともいう。
 この二つは、両立し得ない課題だったのだが、大正末から昭和初年は、日本の進路にとって重大な分岐点だったことがわかる。

(ISBN4-00-413120-0 C0223 P660E 1958,5 岩波新書 2009,10,9 読了)