尾木直樹・森永卓郎『教育格差の真実』

 教育格差の実態や背景に詳しい評論家による、これまた内容濃い対談。
 森永氏は経済学から、尾木氏は教育政策の面から、新自由主義経済とその教育政策を斬っておられる。

 日本の特権階級がめざそうとしているものが、少しずつだが見えてきた。

 日本では今、新たな階層分化が起こりつつある。

 史的唯物論でいうところの本源的蓄積とは、農山漁村で多様な生業によって暮らしていた人々を、自然を相手にした暮らしから引き剥がして工場労働者化する、残酷な経済構造の変革だった。

 資本の論理と国民国家の論理(それらを総合した概念が「帝国主義」かも知れない)は、人間を低賃金・重労働のくびきに縛りつけるのに、情け容赦なかった。
 労働者はすべて、特権階級に使い捨てられる運命にあり、実質的に奴隷と異ならなかった点については、社会主義思想が告発したとおりである。

 第二次大戦後、生活の向上や権利の伸張がはかられたのは、資本主義国が高福祉を謳う社会主義国家と対峙していく上で、やむない譲歩だった。
 ここで形成された中間層は「まじめに努力することによって安定した生活が可能になる」というエートスを持ち、それがまた、経済発展の原動力ともなった。
 しかし、社会主義の衰退・崩壊とともに、そのような譲歩は不要となり、サッチャリズム・レーガニズムに淵源をもつ新自由主義が台頭した。

 新自由主義は、戦後に形成された中間層を、特権層の配下としての官僚層と膨大な最下層に分解する。中間層のほとんどにとって、それは最下層への転落であるし、官僚層は特権層に死ぬまで奉仕することを強いられる。

 今の日本が向かおうとしているのは、そのような社会である。
 となれば、「個性の完成」や「機会均等」を原則とする憲法・教育基本法は、邪魔もの以外の何ものでもなくなる。

 教育基本法の改悪はすでに強行され、あとは改悪教基法の理念に沿って順次、制度を改悪するだけである。
 ここでは、ドロップアウトを大量生産することがむしろ、意図されているかのように見える。
 体制にとってエリートは必要なのだが、それは育成するのではなく、世襲によって固定化する方向がはっきりしてきた。(その根拠については本書に縷々、語られている)

 特権層は世襲によって育て、中・下層中の優秀な人間はエリートに忠実な官僚層として育成する。最下層の労働者は使い捨て可能な労働力として、また将来的には最前線の戦場で生命を使い捨てられる鉄砲玉として、大量生産する。これが、現今の教育行政のめざすところである。

 特権層がもっとも危惧するのは、社会の分裂に伴って、最下層・官僚層が牙をむくことである。
 彼らを馴化できるかどうかが、格差社会の成否を決定する。

 特権層の戦略は二本立てである。

 一つは、官僚層と最下層の対立をあおることによって分裂させ、敵を見誤らせる戦略である。
 官僚層に対しては、特権層に奉仕し、最下層を蔑視し恐怖させることが自らの生存を保障する道だと思わせる。
 これはある程度、成功している。

 最下層には、官僚層が既得権や優遇制度にあぐらをかいていると思わせ、官僚層を憎悪・攻撃させる。ネット掲示板を見ればわかるように、こちらもある程度、成功している。

 二つ目の戦略は、官僚層と最下層を馴化するための道徳教育である。
 教育現場では、2009年から本格的にスタートしたので、これが成功するかどうかは不透明だが、現場の抵抗が弱ければ、今後の日本社会は、じつに殺伐としたものになってしまうだろう。

 格差社会の実現は、社会の荒廃を招くだけではない。
 看過できないのは、意欲やプライドを持ってもの作りを行う生産現場が衰退すれば、経済の土台が回復不可能なまでに崩壊することである。

 格差社会は将来、堕落した貴族と社会に背を向けた民衆という。あたかも『羅生門』のような世界を実現するだろう。

(ISBN978-4-09-825005-9 C0237 P720E 2008,9 小学館新書 2009,6,12 読了)