郡山総一郎・吉岡逸夫『人質』

 2004年4月の「人質事件」は、日本人の意識に衝撃的なインパクトを与えた。
 問題の本質は、日本の自衛隊がアメリカの大義なき戦争に事実上参戦した点にあった。


 アメリカが開戦の口実とした「大量破壊兵器」は最後まで見つからず、毎日.jpによれば、

「最大の痛恨事は、イラクに関する情報の誤りだった」。ブッシュ米大統領は1日放映の米ABCテレビの番組で、大統領としての8年間を振り返った。03年3月のイラク開戦に踏み切る理由となった大量破壊兵器が存在しなかったことを悔やんだ。
という。

 日本の戦争参加の理由も、「大量破壊兵器」の存在以外に何もなかった。
 従って、「大量破壊兵器」の不存在が次第に明らかになった以上、日本がこの戦争に参加する意味は、はじめから存在しなかったということになる。

 にもかかわらず日本は、イラクへの派兵をなし崩し的に継続した。
 自衛隊の派兵に関連して、小泉元首相は、「フセインが見つからないからといってフセインが存在しない訳ではない。大量破壊兵器が見つからないからといって大量破壊兵器が存在しない訳ではない」と述べた。
 この人は、無責任な詭弁を弄する一方で、ブッシュに対する義理だけは果たそうとした。

 自衛隊のイラク派兵には、大義も道理もなく、イラクの自衛隊は被侵略国イラクにとって、侵略軍以外の何ものでもなかった。
 アメリカは、占領地イラクで、かつてベトナムで犯した以上の住民虐殺を行っていた。
 自衛隊は、恐怖と憎悪の対象だったアメリカ軍と一体となって占領政策に協力した。

 イラク国民はもちろん、占領軍の撤退を強く望んでいたし、日本国民の中にも大義なき自衛隊の派兵に危惧を感じ、派兵後には撤退を求める声が少なくなかった。

 話者ら3人が拉致されるという事件は、そういう中で起こった。
 事件が起きたのは虐殺事件の部隊となったファルージャ近郊で、犯人たちは日本に対し自衛隊の撤退を要求した。

 事件発生後、異なるベクトルを持つ、強力な動きが生まれた。
 一つは、イラク人・日本人を含む3人の知人を中心とする動きで、3人の解放に向け、ありとあらゆるツテを使った連日の働きかけを行った。

 もう一つは、政府と政府系ヤミ組織の動きである。
 政府は、犯人の要求を拒否する一方、犯人をテロリストと呼んで挑発した。
 政府にとって最も痛いのは、イラク派兵の大義を問われることなのだが、彼らは、その問題から論点をずらすことに傾注した。

 2ちゃんねるなどネット上のメディアに、「自作自演説」をはじめ、3人の被害者を罵倒する書き込みを展開したのは、政府系ヤミ組織(例えば内閣調査室)だということを聞いたことがある。(裏はとってない)
 匿名性は、インターネットの闇の部分だと思う。
 自作自演こそ、自民党政府・官僚の最も得意とする謀略である。

 政府高官や与党幹部が、謀略を増幅する発言を繰り返し、御用マスコミがそれをさらに増幅させて何度も報道した。
 日本国内はもちろん、イラク国民による人質救出への動きが精力的に続けられていたが、政府はイラクの傀儡政府にすべてを丸投げし、「情報収集」と称して時間を浪費するだけだった。

 マスコミはすべて謀略に荷担したし、警察や外務省もグルになって被害者を犯人扱いしたから、謀略は功を奏したかに見えた。
 3人の被害者を苦しめたのは、謀略に踊る政府・マスコミとそれに乗せられた匿名の日本人たちだった。

 話者は、謝罪をするかどうかで言語に絶する圧力を受けた体験を語っている。
 3人のなかで精神的に最もタフに見える話者にしてそうなのだから、他の2人の受けた心の傷の深さは想像に難くない。

 政府と与党の謀略は一見、成功したように見える。
 しかし、騙されない人々もいる。
 騙されないために必要なのは、事実を知ることと想像力を枯渇させないことだ。

 罪なき人々が殺され傷つきつつある現場で、残された人々がどのような思いで暮らしているのか、殺すのをやめさせるために何ができるか。

(ISBN4-591-08274-1 C0095 \1500E 2004,9 ボブラ社 2008,12,18 読了)