諏訪春雄『安倍晴明伝説』

 世界を認識することによって、人のよりよい生活に資するために、科学と陰陽道は同じように、天体や自然現象を分析する。

 両者の相違は、科学が自然自体に内在する法則を見いだそうとするのに対し、陰陽道は自然の変化を人の運命の予兆だと考える点だと、本書は述べる。

 科学という方法が一般的でなかった時代には、現在の科学と同様の役割を陰陽道が果たしていた。
 事故や病気などの不運の原因の解明もまた、陰陽道の仕事であったから、王朝時代の支配者にとって陰陽師たちは、自分たちの国家の運命を左右する重要な存在だった。

 ここから陰陽師たちが呪術を駆使したという奇跡譚が発生した。
 呪術といえば修験道の世界である。

 身を捨てた修行を積むことによって、深山に存在する岩や滝、あるいは山そのものといった圧倒的な存在から霊力を授かろうとするのが修験道だった。
 これに対し、陰陽師たちの霊力は多くの場合、書籍を通した知識という形で得られるものだったようだ。

 修験道も陰陽道も、権力交替史や民衆闘争史にはほとんどあらわれてこないが、いずれも日本における民衆精神の地下水脈に確固たる根を下ろしていった。

 修験と陰陽道とは成立過程も思想の内実も全く別物だが、あちこちでクロスオーバーする部分がある。 安倍晴明が熊野で修行したという伝説もさることながら、陰陽道と熊野信仰、さらには中・近世の被差別民との関係を指摘している本書を読むと、一般の日本通史とは全く異なる歴史が見えてくる。

 日本の支配者は、被差別民を賤視することによって支配を成立させ、日本の民衆もまた被差別民の存在によって自己のアイデンティティを定立させていた。
 しかしその実、日本の支配者・民衆が被差別民のさまざまな能力を内心畏敬しており、修験や陰陽といった能力・知識は社会にとって不可欠だった。
 これは木地師の社会的位置にも共通する点である。

 歴史を偽造するのが支配階級が支配階級たる所以であるのだが、日本には記録を残さない文化が存在したのであり、それは主流ではないものの多数だった。
 ここで民衆が考えていたことや技術・知恵の総体が、日本精神と呼ぶべきものなのだろう。

 ところで、2005年にセーメーバンという山を歩いたことがある。
 ちょっと奇妙なこの山名だが、安倍晴明伝説の山だということは、承知していた。
 ここの晴明伝説は、水と鉱山に関係するらしい(谷有二『山の名前で読み解く日本史』青春出版社)が、なぜこの山が晴明なのか、今ひとつすっきり解明されたわけではない。

(ISBN4-480-05876-1 C0221 \680E 2000,12 ちくま新書 2008,3,27 読了)