西澤信雄『空気ものがたり』

 朝日連峰を歩いたとき、どこかで見た観光案内に「空気神社」がのっていたような気がする。
 しかし、「神社」というからには鳥居と本殿のある神社なんだろうと思い、さほど興味をひかれることはなかった。

 この本は、空気神社の提案から具体化、そして建設まで、どのような人々がどのような思いで取り組んでいったのかをまとめたドキュメントである。

 空気神社への動きが始まったとき、提唱者は亡くなっていたから、もともとどのような神社がイメージされていたのかは、わからない。
 でも、自然環境の核心は空気にほかならず、空気を神として感謝の意を捧げるべきだと考えていた提唱者の理念は、取り組みの中で深められこそすれ、揺らぐことはなかったようだ。

 人と神とのあいだに権威や偶像が介在することは、信仰へ不純物の混入を認めることでもある。
 おそらくは自然崇拝に淵源をもつ信仰も、神社という形式を整え、伊勢神宮を頂点とする序列に位置づけられることによってオーソライズされた瞬間に変質し、陳腐化する。

 朝日町の空気神社は、神社本庁に従属せず、朝日連峰をはじめとする豊かな自然環境の象徴として、また自然に感謝し自然を守る町民の意志の象徴として建設されたという点が、ユニークだ。

 この本の記述は、寄付を募り、建設コンペを行って本殿を建設する町民運動が広く支持され、完成にこぎつけたところまでで終わっている。
 しかし、空気神社の意義が試されるのは、これからだろう。

 政治的に演出されたリゾートブームは破綻した。
 素晴らしい自然環境をもつ朝日町がいかにして、自然の切り売りでない観光を作り出していけるかが、問われている。
 それは、空気神社が問われているのと同じだと思う。

(ISBN4-89544-113-X C0095 \1500E 1995,6 無明舎 2008,1,14 読了)