宮脇昭『鎮守の森』

 『魂の森を行け』の宮脇昭氏が「鎮守の森」というキーワードについて熱く語った書。


 この間、修験道について少し調べてみて感じたのは、日本古来の信仰といえるのは、神道ではなく修験ではないかということだった。

 神道は、日本列島にネイティブな信仰だったアミニズムとは、根が異なるような気がする。
 畿内政権による後世の修飾を差し引いても、神道の持つ権威主義は、自然と謙虚に向かい合う姿勢とは相容れない。

 修験は、仏教のカテゴリーを援用して在来信仰を法理化したものと言えないだろうか。

 由緒ある古寺・古社を訪れてみると、権勢あるスポンサーに恵まれなかった寺院は、境内も小さく、立派な森など持っていないことが多い。
 中には、建物は立派だが境内をほとんど持たないお寺もある。

 関東の山村に位置している神社には、かつて修験寺院だったものが少なくない。
 明治維新後、国家は、神道によってその存在を権威づけようとした。
 神仏分離とは、民衆レベルで定着していた神仏混淆思想を破壊し、天皇を頂点とする権威の体系に日本人の意識を組み入れようとするものだった。

 それは、草の根の宗教者だった行者のアイデンティティを否定するものだった。
 行者が悪霊を調伏するパワーは、自らの厳しい修行によってもたらされるものだったのに、権威によってもたらされるものになってしまった。

 これに対する抵抗の事実は、聞いたことがない。
 国家の権威の前に、個々の行者や修験寺院は抵抗のすべを持っていなかったのだろう。

 修験寺院の多くは、神社として装いも新たに再出発を余儀なくされたが、社叢はそのまま維持された。
 鎮守の森は、神社にとって不動産であるというより、樹木や生態系(という概念は持たなかったが)の象徴的な存在として、畏敬の念をもって維持された。
 しかし、近代化の過程で、鎮守の森は経済的な価値によって量られるようになり、天皇制国家による権威づけ・序列づけの一環としての合祀によってさらに軽んじられるようになった。

 このあたり、南方熊楠の取り組みの先駆性は特筆される。

 宮脇氏の行ってこられた「ふるさとの木」による植樹は日本と地球の森をこれ以上破壊させない上で、とても大きな仕事であり、熊楠の仕事の延長線上にあるものと思う。
 氏の語りの行間には、考えるべきテーマが山ほど見え隠れしている。

(ISBN978-4-10-131751-9 C00161 \362E 2007,5 新潮文庫 2007,9,5 読了)