平方浩介『じいと山のコボたち』

 岐阜県徳山村の分校の先生が書いた子ども向け小説。

 初版が刊行されたのは1979年とある。
 徳山ダム反対運動がまださかんだった時代の作品である。

 ところで徳山ダム建設中止を求める訴訟の最高裁判決が出たのは、この本を読了した5日前の2007年2月22日だった。

 反対派の敗訴確定 徳山ダム訴訟で最高裁 [ 02月22日 20時08分 ] 共同通信


 独立行政法人水資源機構が進めている岐阜県揖斐川町の徳山ダム建設に反対する市民団体メンバーが国の事業認定などの取り消しを求めた訴訟の上告審で最高裁第1小法廷(涌井紀夫裁判長)は22日、原告の上告を退ける決定をした。原告敗訴が確定した。利水の必要性が争点となり1審判決は原告の請求を棄却。2審判決も1審の判断を支持した。徳山ダムの総貯水量は6億6000万立方メートルで日本最大規模。(ソース)


 徳山村と徳山ダムに関する本は数多い。

 徳山村が水没することによって失われるかけがえのないものへの哀惜の念。
 これほどまでに美しく、真っ正直な国を敢えて水底の泥に埋めるという自滅的な行為への警鐘。
 経済利権を中心に回っているこの国の構造への糾弾。
 いずれも、だいじな問題である。

 この本にダム問題は出てこない。
 過疎問題すら出てこない。

 認知症の始まった一人の老人と隣家の少年を中心に話は展開する。
 ここに描かれるのは、『恍惚の人』によって老人問題がクローズアップされて数年後の山村の姿である。

 老人・息子・嫁・孫と、登場人物はあまりにもありふれた状況設定。
 にもかかわらず、一つ一つの場面がキラキラ輝いて見えるのは、物語が山間部の農村を流れる川面を背景に展開するからだろう。

 淵で泳ぐ子どもたちが、まだ存在した時代の最後の輝きだ。
 いくら名人に手ほどきしてもらったとはいえ、子どもが何匹ものをアマゴをビクに入れることのできた最後の時代。

 ダムに沈まなかった村でも、老人と川で遊ぶ子どもなど、今やとっくに絶滅した。
 子どもらは老人からほとんど何をも受け継ぐことなく育ち、当然のように村から出ていく。
 ひと世代が交代すれば、一人の子どもさえいなくなってしまう。

 美しい日本はこうして、経済優先の醜い国と化していく。
 その旗振りをやってる人が「美しい日本」というのだから、わけがわからない。

 神山征二郎監督作品『ふるさと』を鑑賞する前にこの本を読むことができてよかった。

(ISBN4-494-02643-3 C8293 \430E 1982,1 童心社フォア文庫 2007,2,27 読了)