網野善彦『歴史としての戦後史学』

 戦後史学史に関連する網野氏の論文・発言・書評などを集めた本。

 わたしが学生として歴史を学んでいたのは、1975年から1979年にかけてだった。

 当時読んだ戦後史学史に関連する著作で、印象に残っているのは遠山茂樹『戦後の歴史学と歴史意識』(岩波書店)と中村政則「現代民主主義と歴史学」(『講座日本史 第10巻 現代歴史学の展望』東京大学出版会)である。
 ほかにもあったと思うが、歴史関係の本が今どこにあるかわからないので、思い出せない。
 網野氏の書かれた史学史についての文章はたぶん、読んでない。

 本書に収められた網野氏の発言のうち、わたしの学生時代に発表されたのは『論集 中世の窓』の書評だけだから、氏の発言が視野に入っていないのはやむを得なかったとは思うが、学生時代の自分が勉強不足だったことは確かだ。

 最も悔やまれるのは、隣接諸学(一見無関連とも思える分野を含め)への関心が、当時の自分にほとんどなかったことだ。
 例えば、わたしは民俗学の講座をついぞ受講しなかった。
 学問の有効性というような議論をよくしていたものだが、当時の自分の浅薄な発展史観におけるキーワードは「生産」と「闘争」だった。

 「生産」と「闘争」は、人間としての自立過程にあった当時のわたしにとっての命題でもあった。
 人間として一人前であるために、最低限どうあらねばならないのかということを真剣に考えていた当時のわたしにとって、民富を求めて技術改良に励む一方、村政改革をめざし合法・非合法の闘いを挑む幕末期の民衆は、まさに人間としてのあるべき姿に思えた。

 秩父における幕末民衆史をテーマにした卒業研究を通じてわたしは、人間としての自分を確立することができたように思った。

 「生産」と「闘争」が歴史を理解するキーになるということ自体は、間違っていないと今でも思っている。
 しかし、それだけでは歴史を理解することはできませんよ、と著者は強調しておられる。
 まさにその通りだと思う。

 この10年ほどは、狭く浅くではあるが、まずまずの読書ができたかなと思う。
 この読書ノートは、自分の立ち位置について考えるノートである。
 うかうかしている間に人生の残り時間がなくなりそうな気がしないでもないが、これからも知の寄り道は続けていきたいと思う。

 ところで本書は、史料に向き合う際の心構えや、歴史学と隣接諸学の関連などについて、わかりやすく説いている。
 『古文書返却の旅』同様に、歴史を学ぶ若い方にはぜひ、読んでいただきたい本である。

(ISBN4-88888-297-5 C3021 \2200E 2000,3 日本エディタースクール出版部 刊 2007,1,20 読了)