田中彰『小国主義』

 自ら小国であることを自覚し、他国からもそのように認識されることを前提に、国の安全を保障しようとするのが、国際関係における「小国主義」のようです。

 小国主義の行動原理は、必然的に、国際関係における摩擦を、武力以外の方法によって解決しようとすることになります。

 この本は、日本近代における小国主義の系譜を、略述しています。

 近代日本の出発点である明治維新は、国際環境としては、帝国主義の揺籃期でしたから、当時の日本にあって、小国主義が、どれだけ現実性を持ち得たのか、疑問もないではありません。
 しかし、「富国強兵」ならぬ、「富国弱兵」というかたちの国造りは、絶対にあり得なかったのか、といえば、そのような可能性もあり得たような気がします。

 もちろん、それはたいへん困難な道で、その実現のためには、強固なナショナリズムや中央集権国家の構築が、必須であったと思われます。

 権力の淵源は、個人の権限委任にあるのでしょうから、自覚した個人が、強い意志を持って、公権力を形成することが可能であれば、中央集権は、民主主義と両立し得るはずです。
 明治の日本にとって(今の日本にも言えることだと思いますが)、必要なのは、やはり、強固なナショナリズムだったのではないかと思います。

 ところが、日本には、ゆがんだナショナリズムが育ってしまいました。

 山や川や森林におおわれた、日本の美しい国土が、どれほど、誇らしいものか。
 生活の基礎にある地域の独自性(地域のアイデンティティ)が、どれほど大切なものか。
 国家にとって、どのような行動をとることが、恥ずべきことであり、誇るべきことなのか。
 等々について、私たちは今なお、明確に語ることが、できません。
 言うなれば、ナショナリズムの基礎が、育っていないのです。

 日本のナショナリズムを歪曲したのは、天皇制でしょう。
 これについては、言っても詮ないことかも知れませんが、やはり個人が自覚すること、思考の枠にはまらず、ものごとを率直に見つめ、自分の頭で考えるようになることが、大切だと思います。

 自由民権運動以来の水脈を持つ小国主義は、日本国憲法の中で、具現化されています。
 問題は、日本国民が、憲法のレベルにまで達した、高い意識を持つことができるかどうかだと思います。

(ISBN4-00-430609-4 C0221 \660E 1999,4 岩波新書 2001,1,8 読了)