江馬修『山の民(上・下)』

 長らく読んでみたかった小説を、ようやく読むことができました。
 島崎藤村の『夜明け前』が、木曽における宿場指導層の視点から明治維新を描いたのに対し、『山の民』は、飛騨の農民の視点からの明治維新を描いています。

 まるで、映画を見ているような小説ですが、史料的な裏づけがよほどしっかりしているものと見えます。

 御一新への期待と幻滅、そして反発。
 日本各地の農村・山村で、このような流れが、まちがいなくあったはずです。

 御一新への期待とはなんであったのか。
 なにゆえ、それが幻滅に終わったのみならず、激しい抵抗をよびおこしたのか。

 近年の歴史学界は、「近代化=悪」という見方が有力なようです。
 支配者は近代化をめざし、民衆は近代化を拒否した。民衆の中にあった豊かな可能性は、近代化によって圧殺された。
 そんな議論がメシの種になるとは、歴史学界とは不思議なところです。

 私は近代主義者ではありませんが、近代に学ばないものに、近代を乗り越える力は持ち得ないと確信しています。

 『山の民』は小説なので、飛騨県知事梅村速水の政治のどこが、もっとも大きな反発を受けたのか、分析してあるわけではありません。
 しかし、ここには、内部に階層矛盾をはらんだ飛騨びとすべてに対して犠牲を強いるものだったことが、描かれています。

 小坂郷や阿多野郷の山村の暮らしについての描写は、もの足りません。
 しかし、これは戦前の作品であることを思えば、やむを得ません。
 「アユよりイワナの方が口にあってる」という農民のせりふが印象的でした。

 山を愛し、渓を愛するという方々に読んでいただきたいのは、じつはこのような本なのです。

上巻 (ISBN4-393-43504-4 C0093 \1800E 1997,6 春秋社刊 1998,8,10読了)
下巻 (ISBN4-393-43505-2 C0093 \1800E 1997,6 春秋社刊 1998,8,12読了)