西澤信雄『ブナの森から都会が見える』

 西澤さんの本を読んだのは『みちのく朝日連峰山だより(正・続)』に続いて3冊目です。
 前の二冊は、どこで買ったか忘れてしまいましたが、今度の本は朝日鉱泉で、西澤さんご自身から買いました。


 この夏、大朝日岳から下山してから、朝日鉱泉に泊まったのです。
 そのときの山行記は、いつか、「極楽蜻蛉の山日記」にのせたいと思いますが、大量のトンビマイタケを背負ったご老人や、そこここに出ていたチチタケなど、朝日の豊かさをかいま見ることのできた山旅でした。

 今回の本は、前の二冊と、少しトーンが変わったように感じます。

 西澤さんは、釣り人や登山者をよく見ておられます。
 それは前の本と同じです。
 前の本を読んだときも、朝日連峰や朝日川を訪れる人びとの生態についての描写に苦笑させられたものです。

 ただ、今度の本では、今の釣り人や登山者に対する苦言が増えたような気がするのです。
 それから、消費を美徳とし、先のことを考えずに、どこか知らないところに突っ走っていこうとする今の社会への苦言も。

 なぜなんだろうな、と考えます。

 登山者や釣り人の質が悪くなっているのでしょうか。
 大鳥池の小屋には、「最近、善良な人に迷惑をかける釣り人がいます」という貼り紙がしてありました。
 善良な人に迷惑をかけるような人は、一般社会では受け容れられないのではないでしょうか。

 また、こうも考えます。

 朝日鉱泉が便利できれいになって、われわれ登山者には、ありがたいことずくめです。
 朝以外なら風呂にも入れるし、明るい電灯はついているし、ビールは飲めるし、電話までかけられます。
 しかし、その代償として、自然に対し、どれだけのダメージがあるのかを、想像できなくてはならないのではないか。

 秩父の山に抱かれた山村にとって、便利になることは悲願であったはずです。
 しかし、巨大ダムとゴルフ場とリゾート施設に囲まれてしまった今、とりかえしのつかないことになってしまったのではないかとの思いが、しだいに強くなってきます。

 今後、われわれはどういう暮らしをしていけばよいのでしょうか。

(ISBN4-635-17105-1 C0075 \1600E 1997,8 山と渓谷社刊 1997,8,20読了)