加藤久晴『新・傷だらけの百名山』

 山を歩けば、腹立たしいことやあきれてしまうことを、いやでも見聞します。
 正編・続編に続く嘆き節山行記。

 かつて書いたノートでは、現代日本の山をめぐる問題として、レジャー産業による山林破壊、登山者の問題、全体的な環境汚染といった問題があることを指摘しました。

 レジャー産業はその後、自らが抱え込んでいた不良債権の呪縛と長く続いた不況の中で、このところ息を潜めて冬眠状態継続中。
 秩父地方を食い荒らしていた西武鉄道は、不況と最高幹部が脱税行為によって裁きにかけられるという不祥事のダブルパンチをくらって、この地から少しずつ撤退しようとしている始末。

 しかし、山や森林に対する日本企業・日本人の姿勢が変わったわけではありませんから、経済状況が変われば、形を変えて再び動き出すでしょう。
 ここはやはり、しっかりした理念をもって自然環境を守っていかなければならないでしょう。

 この本で新しい問題として提起されているのは、皇族が登山することによって生じる山の破壊についてです。
 登山する皇族といえば、現皇太子のこと。

 皇太子が山を破壊しているわけではありません。
 彼の登山に先だって、地元自治体や一部山小屋がルート整備(という名のルート破壊)や、皇太子専用トイレ・専用風呂などの諸施設を建設することによって、山が取り返しのつかないダメージを受けている現実があるというわけです。

 わたしもよく知らなかったとはいえ、今から16年前に平ヶ岳の皇太子ルートを歩きましたから、偉そうなことは言えません。

 しかしこのままでは、彼が山に行けば行くほど、山が破壊されてしまいます。
 皇太子本人にまったく非がないのですから、対策として一番いいのは天皇制を廃止することですが、次善の策としては皇族の特別扱いをやめるべきでしょう。

 それにしても、山に関するこの著者の本は、ぼやきで埋め尽くされているという感じがします。
 山に行けばぼやきたい現実も見聞しますが、あまりぼやきばかりでは、つまらない山行記になってしまいます。

 この本には、秩父の武甲山についても書かれています。
 著者は、春の武甲山で「淡いピンクのムラサキヤシオツツジの群落」を見たと書いていますが、おそらくミツバツツジ(もしくはトウゴクミツバツツジ)の誤りでしょう。

 もともと、ルポとして書かれた文章ではありますが、いま少し落ち着いた、センセーショナルでない文体で山を描けないものかとも思ってしまいます。

(ISBN4-947637-65-X C0036 \1900E 2000,6 刊 リベルタ出版 2006,3,1 読了)