斎藤貴男『安心のファシズム』

 ファシズムは、個人の存在を許さない社会状況ですが、そうした状況は権力やデマゴーグによって作られるのではなく、市民によって形成されます。


 権力やデマゴーグの役割は謀略やメディアを使った世論誘導です。

 現在の日本について著者と同様に、きわめて危うい状態だとわたしは感じています。

 秩序への抵抗は、若い人々の権利であり義務と考えるべきです。
 抵抗者を包含することで、社会全体に緊張感が生まれ、バランスがとれる。
 自分が存在する意味を激しく求め、より自分らしい自分を求めてやまないのが人間であって、所与の秩序を前提とすること自体が精神の退廃だと考えるべきだと思ってきました。

 いまの日本社会を支配しているのが何ものであるのか、その正体ははっきり見えてきません。
 彼らはおそらく、個々の資本の利害を超越した富裕なエリート集団だろうと思われます。
 彼らが日本国内に基盤を持つ者であるかどうかも、不明。

 政治は、改憲をてこにして、抵抗なく犬死にできる人間を大量に作り出す準備を、着々と進めています。
 教育は、教育基本法改悪をてこにして、エリート後継者の発見と大量の犬死に予備軍の育成を目的とすべく、変質させられようとしています。

 人間の容貌・行動すべてをデジタル記録できる装置やGPS・携帯端末などを利用した、人間管理ツール・データベースの開発は、急激な進歩を遂げています。
 そして、この社会の未来にひょっとして感づいたかも知れない人間を排除する仕組みも。
 漫画家石坂啓が『アレルギー戦士』で描いた世界は、既に現実になっています。

 かくて、自ら飼い慣らされたいと願わなければ排除されるかのたれ死にするしかないような世の中が、目の前に迫っています。

 闘うか。それとも逃げるか。
 やっぱり闘う方が後悔しない生き方でしょうね。

(ISBN4-00-430897-6 C0236 \700E 2004,7 刊 岩波新書 2006,1,31 読了)