佐久間忠夫『人らしく生きよう』

 たぶん以前に、六本木敏『人として生きる―国鉄労働組合中央執行委員長339日の闘い』(教育史料出版会)を読んだことがあります。

 1980年代半ばから進行した国鉄労働組合に対する当局・政府の破壊工作は、日本の現代史において人権侵害の最たるものとして記憶されます。
 そこでは、闘う労働者のブライドと責任感、すなわち人格が徹底的に選別され、自覚的な国労組合員だというだけの理由で、1000人以上が合理的な理由なく解雇されたのでした。

 それ以降、同じ労働者として多少の連帯行動をとってきました。
 しかし、体制側はいまだにこれを人権侵害だと認めるに至っていないどころか、その後さらに自治体労働者や教育労働者に同様の分裂工作を加え、多くの職場において労働組合は気息奄々の状態にあります。

 1990年代以降、大企業、銀行、官公庁の労働者は、より条件のよくないところで働く労働者と比べて恵まれすぎているから、待遇を低下させなければならないという言説に対する反論は、はばかられました。
 (決して恵まれすぎてるとは思わないが)これらの職種の人びとを沈黙させることによって、労働側の体力が削がれたことはたしかでしょう。

 21世紀に入り、足の引っ張り合い社会は、さらに進行していると思われます。

 このような世の中を作ることによって、結果的に何が実現したのか。
 わたしが思うにそれは、証券売買によって莫大な、あるいは多少のあぶく銭を得る人びとが、富を蓄積する社会です。
 ここで置き去りにされたのが、人間らしさとか労働者らしさです。

 日本がこのような社会になってしまった原点が、国鉄民営化と国労への攻撃でした。
 したがって、日本がまともな国になるためには、1047名の解雇された人びとに対し、国とJRが「悪うございました」と頭を下げる手続きが何が何でも必要だと思います。

(ISBN4-606456-69-3 C0095 \1800E 2005,10 刊 耕文社 2006,1,1 読了)