植村誠『ぼくがバス釣りをやめた理由』

 かつてバスを釣っていた釣り人の立場からするアンチバスフィッシングの書。

 バス釣りの是非については、それぞれの立場からいろんな議論があります。
 さまざまな論点の中には、本質的な部分と枝葉に属する部分が混在しています。

 枝葉に属しているのは例えば、本書に紹介されている「親子の対話のためにバス釣りは有効である」というような議論。
 「バス釣りは生命の大切さを教えるのに有効である」というような議論も聞いたことがあります。

 これらのように、枝葉の議論の多くは、バス釣りを是とする立場の人々が本質的な論点をそらすために考え出した屁理屈です。
 清水という芸能人が、これらの屁理屈を集大成した訴訟を提起しましたが、しょせんは屁理屈の集大成にすぎないわけで、一審で一蹴されたことは記憶に新しいところです。

 バスフィッシング問題の本質とは、本来そこに生息していなかった魚が生息することの是非であるからです。

 これをはっきりさせておく必要があります。

 北アメリカ原産の魚であるブラックバス類が日本の河川や湖水に放流された結果、日本在来の生態系が攪乱されます。
 生態系の攪乱がなぜいけないのかという議論は、かなりむずかしい要素を含んでいます。

 人間が文明生活を営んでいること自体が、生態系にインパクトを与えているのは事実だからで、生態系を一切いじってはいけないとなると、人間の自己否定に行き着きます。
 人間の自己否定も議論としてあり得ないことはないですが、あまりに非現実的な話です。
 人間は生態系を極力乱さないように努力しつつ暮らすべきだというのが、もっとも現実的な議論だといえるでしょう。

 極力生態系を乱さないようにするのですから、戦争などはとんでもない非行です。
 ブラックバスの密放流もしかり。

 その意味で、日本の多くの水域でブラックパスの密放流が禁止されているのは真っ当なことです。
 本書は、密放流魚は犯罪の所産であるから、楽しみのためとはいえ、犯罪の所産を享有することはいかがなものかと述べた上で、違法放流魚を一切釣るべきではない(「駆除すべきではない」とは異なる)と主張します。

 日本のごく一部のバス釣り場を除き、駆除以外での目的でのバス釣り否定論です。
 これはごくわかりやすい話です。

 バス釣り愛好者に対し、著者は海外へのバス釣りツァーを提案しています。
 海外での釣りとなるとずいぶん敷居が高い気がします。

 日本はブラックバス生息地ではないのですから、バス釣りが普及すること自体が不自然だといわざるを得ません。

(ISBN4-272-61212-3 C0075 \1500E 2003,9 大月書店 2005,4,12 読了)