西丸震哉『さらば文明人』

 類書に本多勝一氏の『ニューギニア高地人』があります。
 こちらは、『41歳寿命説』以来、生態学の見地から日本人への警告を発し続けておられる著者が、主として食の分野における調査をおこなった際の紀行文です。

 調査は1968年におこなわれて、旧版は1969年に出されています。

 著者はネイティブ住民のことをしばしば「土人」と呼ぶのですが、何度読んでも違和感を感じます。
 現地住民を「土人」と呼ぶのは昔の本に「信州の土人」などとあると同じく偏見ではないと断っていますが、当地の住民を「秩父の土人」と表現した『新編武蔵風土記稿』などは明確に偏見を持って描かれています。

 もっともそんなことは、本の論旨からいえば些細なことであって、ここに書かれているニューギニアネイティブの食と生活をみると、「文明人」の生きざまがいかに不自然かということが、わかってきます。

 この本の中でなんども書かれているのは、文明によって人間の精神が堕落する現象が見られるということです。
 このことを、どのように理解すればいいのでしょう。

 著者は、人間の文明には根本的な欠陥が潜んでいるとも、その根本的欠陥を深刻に自覚するまで文明化するしかないとも述べておられます。

 わたしも人類は滅亡へのスパイラルに陥っていると思いますが、立ち直りうるものであれば、立ち直らせるべきでしょう。

 この本のタイトルは「さらば文明人」ですが、人類が文明と決別することは不可能です。
 しかし現代人は、知恵も足りないし自分たちの邪悪さの自覚も持ってません。
 このような人間に、巨大な力を与えるのは危険すぎます。

 文明を延命させるためには、物質文明の進歩にはストップをかけるか、もしくは多少後退した方がよろしい。
 そして、ここ何世紀というものいっこうに進歩をみせない精神文明発達のために、知恵を絞るべきではないかと思います。

(ISBN4-89409-032-5 C0095 P1600E 1991,12 ファラオ企画 2004,2,19 読了)