久慈力『蝦夷・アテルイの戦い』

 エミシ文化のルーツや実体、ヤマト政権との抗争史の意味等についての、歴史ノンフィクション?。


 ?をつけたのは、この本は、歴史書ではあるが、いわゆる歴史研究書の体裁をとっておらず、かといって、終始フィクションであるともいえないからです。
 わたしは、いちおう歴史畑出身なので、研究史をほとんど省みないとか、史実の断定に明確な根拠をあげないとか、依拠している立論の出典をいちいちあげないといった叙述方法に、ひどい違和感を感じてしまいました。

 とくに、この本の一つの柱をなしている、日本の支配階級はユダヤ系植民者であるという論には、説得力のある典拠に乏しく、「常識」的な通史認識を揺るがすには、あまりに荒唐無稽という印象をまぬがれませんでした。

 だからといって、読むに値しないなどというつもりはまったくありません。
 高校の教科書にあるような「常識」的な古代史=定説にも、日本人の起源についての十分な典拠など、ほとんどないに等しく、あたかも日本列島に旧石器・縄文・弥生などの文化が、時代とともに生起したかのような記述が一般的です。

 しかし、実際には、本書にあるように、南と北の両方の文化が重層的に融合したものが、日本文化の基層たる縄文文化だったのでしょうし、日本の国家形成は、日本の国内的要因だけによって解くことは到底不可能で、東アジアにおける民族移動や国家形成のダイナミズムから説明されなければならないはずです。

 この本のメインである、平安時代初頭の坂上田村麻呂らによる「東北戦争」については、「征服戦争」とする評価もありますが、『続日本紀』を編んだヤマト政権の偏見をそのまま継承する、「蝦夷の反乱」という見方の方が根強いと思われます。

 このような偏見は、六国史など、ヤマト政権の歴史書に起源し、主として支配イデオローグによって温存・熟成され、教育勅語体制下の学校教育のなかで、国民に刷り込まれたものです。
 日山五十人山など阿武隈の低山には、こうした偏見のあとを示す石像物が、残されていました。

 ヤマト政権の東北侵略の先兵をつとめたという百済王家の史跡や、枚方市にあるという抵抗の指導者アテルイの首塚など、いつかじっくりと見に行ってみたいと思いました。

(ISBN4-8265-0353-9 C0021 \1800E 2002,7 批評社刊 2003,3,3 読了)