和賀正樹『ダムで沈む村を歩く』

 岡山県苫田ダムによって沈められる苫田郡奥津町の民俗ルポ。

 対象の川は、吉井川。
 計画の発表が1957年。1999年に本体の起工式がおこなわれたといいますから、そろそろコンクリート打設工事が始まっているころでしょうか。

 計画の発表から、町を挙げての反対運動を経て、運動の分裂と孤立化が進み、建設目的が二転三転しても、ごり押しだけは進行して、着工したダムです。

 この本には、高度経済成長によって影を薄くし、ダム建設に伴う強権的な村落共同体崩壊によって消えていった奥津町の民俗が、丹念に掘り起こされています。

 共同体の民俗を無批判に称揚するような文章を見ると、わたしなどは、「何も知らないくせに」と思ってしまいます。
 わたしだって、それほどわかっているわけではないんですけどね。

 伝統的な村落共同体の民俗行事は、楽しいものであるし、それぞれの地域の生活に基盤を持つ、意味のある行事なのですが、反面、共同体内における個性の自己主張を圧殺する側面があるのも、事実なのです。

 わたし自身、かつて、集落の宗教行事担当として、伊勢皇太神宮のお札の(事実上の)強制販売などをやらされた経験があるのです。
 集落の氏神的なお宮のためなら、各自が若干の拠出をするのも肯けますが、地域に関係もない伊勢神宮の手先として集金活動をするなんて、ばかばかしいと思いました。

 しかし、地域のしがらみのないところに住んでいたのでは体験できない共同体の民俗ひとつひとつに、かつては、生活の平穏と安定を祈るという、深い意味があったのです。

 本書の最後には、ダム問題に関する、いくつかの一般的なレポートが載っています。
 この中で、驚いた点がいくつかありました。

 その一つが、ダム建設現場に現われては、予算の一部をかすめ盗っていくハイエナ的商売をやっている財団法人土木研究センターの「風土工学研究所」の存在。
 現国会(2002,2)で、財団・特殊法人の廃止が、議論の対象となっていますが、同研究所も、建設官僚の天下り先として、退職した役人の寄生先となっています。

 もちろん、職員は、ゼネコンからの出向社員です。
 その事業内容は、ダムや周辺施設(橋やトンネルなど)の命名が中心。
 湖水誕生「民話」の案出などというものまであります。

 それだけの事業に、「一件のダムで、国なら1000万円超。県で800万円から900万円」という金が、研究所に支払われています。
 ひどい話だなぁ、と他人事のように読んでいたら、埼玉県大滝村の滝沢ダム下にかけられたループ橋、雷電廿六木(らいでんとどろき)橋も、同研究所の命名によると書いてありました。

 廿六木(とどろき)は、地元地名ですから、とりあえず納得できるとしても、「雷電」にはとくに根拠もないのです。
 おそらくは、商品名開発と同様の発想によって、「とどろき」に「雷電」をくっつけたものと思います。

 私が釣りに通う渓流近くにも、いわかがみ橋とかやまあざみ橋など、その周辺に自生していない植物の名前をとった橋が、いくつかあります。
 前々から、変だなぁ、と思っていましたが、おそらくこれらも、この研究所の仕業なのでしょう。

 札束によって、人間関係や暮らしの知恵や生活に根ざした民俗を破壊し尽くすだけでなく、地名をも、おもちゃのようにもてあそび、あまつさえ、べらぼうな金を奪っていく商売。
 このような官僚とゼネコン(とおそらくは政治家)によって、日本の国は、永久的に破壊されていくのでしょうか。

(ISBN4-89984-023-3 C0036 \1900E 1999,3 はる書房刊 2002,2,14 読了)