大森昌也『六人の子どもと山村に生きる』

 兵庫県の過疎の村で、6人の子どもたちと暮らすお父さんの話。
 地球と調和して生きようとする著者の思いが、あふれ返っています。

 若いころは「新左翼」の活動家であったという著者は、日本の少数民族や被差別部落の人びとの目線で現実を見るようになって以来、史的唯物論の世界観に疑問を持つようになったといいます。

 たしかに、20世紀初頭までの人類の歴史を、生産力と生産関係の発展と矛盾の歴史として理解することは、困難ではありません。
 しかし、生産力の発展が人類の生存を脅かすようになるとは、マルクスたちには、想像もつかなかった事態です。

 たとえば、核戦争の危機。
 マルクスやレーニンは、人類史が近々、核戦争によって一気に終焉することなど、まったく想定していませんでした。
 このことについては、20年ほど以前に、故芝田進午氏らの著書で読みました。

 地球温暖化や内分泌攪乱物質による遺伝子破壊などの事態も、同様です。
 要するに、人間の意志による経済活動の結果、人類史は発展の方向に向かうのではなく、生命が存在する基盤である地球環境の危機に向かっていることが、わかってきたのです。

 著者がいうように、マルクスがペテン師であるかどうかは、議論の余地があると思いますが、今は立ち止まるべきときだという考え方には、共感します。

 この本に描かれている著者の子どもたちは、生命や大地とともに、たくましく育っています。
 炭焼きや、パン焼きで生きていこうとする少年たちの姿には、感動します。
 こんな子どもたちが、無理なく、胸を張って生きていけるような世の中を作っていきたいものだと、思いました。

(ISBN4-938170-32-9 C0036 \1500E 1997,9 麦秋社刊 2001,12,18 読了)