列島における仏教の濫觴期についての概説。
基本的に「記紀」の記述に沿って、古代仏教史を捉えている。
古代史
「倭の五王」の時代から「乙巳の変(大化改新)」の時代にかけての、大王と地方豪族の関係がどのように展開してきたかをあとづけた書。
列島の古墳を総合的に研究することによって、古墳時代の列島の権力構造に迫ろうとする書。
列島といっても、東北地方北部に古墳は存在しないから、古墳時代という語が有効なのは、九州・四国と東北北部を除いた本州である。
森浩一氏は、列島に叢生した古代の地域文化を、文献資料によるバイアスのかかった眼で読むのではなく、その自立性に注目し、地域文化の論理から文献資料に内在する作為を解きほぐす方法を提起しておられる。
地域文化を読む際の手がかりになるのが、考古資料である。
史料の少ない古代史において、「日本史」から自由であることはむずかしい。
作為に満ち満ちた歴史の虚偽を砕くのは、モノに依拠して書かれた歴史以外にはないだろう。
日本史というコトバの嘘っぽさが見えすぎてきたので、最近は列島史というコトバを使うようにしている。
このコトバは自分の感覚に比較的フィットしている感じで使っている。
釈迦は、紀元前6〜5世紀にインドに生きた人物であるから、その生涯を歴史的に明らかにするのは、ほぼ不可能であろう。
高校時代に読んだヘッセの『シッダールタ』をはじめ、彼の教義を評伝風に描いた作品は多いが、釈迦の実像にどれだけ迫れているかは、よくわからない。
ずっと以前に、中公新書版(1969)を読んだ記憶があるので、再読。
初めて読んだときにはさほど感じなかった、歴史叙述に対する著者の野心を心地よく楽しみながら読むことができた。
北八ヶ岳・麦草峠周辺にある、黒曜石の原石や石片探索記。
もっとも、どこの踏みあとをどう入るという記述を読んでも、具体的には全くわからない。
想起するのも忌まわしい、研究成果の捏造事件の検証。
アマチュア考古「学者」だった藤村新一は、1980年代から2000年にかけて、日本における旧石器時代研究をリードした人物だった。
一度だけだが、この男と会話したことがある。