宮本政於・佐高信『官僚に告ぐ』

 官僚の実態を告発した対談。

 初版は1996年に刊行された本である。
 ここで語られていることは、事実に反しているわけではない。
 またその後、問題が著しく改善されたというわけでもない。

 「日本」の官僚制度の問題点が激しく指摘されていた時代に、ここで痛罵されているような非合理性や腐敗の実態は、たしかにあったのだろう。
 それはやはり、あってはならない問題だったと思われる。
 その後、縦割り行政や天下りや、前例主義など、「日本」の官僚制度に内包されている問題点が改善されたようには見えない。

 しかし一方で、キャリアクラスの官僚をめぐる状況は、この間、大変動した。
 官僚主導でなく「政治主導」であるべきだということを力説していたのは、鳩山由紀夫氏だった。
 彼の場合、首相在任時代に外務官僚によって欺かれたという体験が、官僚不信を増幅させているという印象がある。

 2010年代以降、「政治主導」の名のもとに、政治家のポリシーに基づいて政策を立案するのがキャリアの任務だという流れができた。
 政策の立案はもちろん、法や制度や前例と整合性をとって行わなければならないから、官僚はそこでその能力を最大限発揮すればよいのである。

 内閣人事局の創設は、そのような流れの中で行われた。
 初めて設置されたのは第二次安倍政権においてだったが、不祥事を連発した安倍内閣は、そのもみ消しのために官僚機構を動員した。

 行政が、法や制度や前例と矛盾なく行われるように調整するのは、「官僚的」だとそしられても行政の安定性と信頼性を担保する上で、必要なことだった。
 しかし今、キャリアは、内閣の脱法行為を指南し、隠蔽するために、公文書の隠蔽や改ざんさえ実行する。
 脱法行為の肩棒担ぎが、彼らの出世の手段となっている。

 この対談が行われた時点で、このような世紀末的な状況が訪れるとは、対談者を含め、誰にも予想できなかっただろう。
 ここでの宮本氏には、新自由主義を先取りしたような言説が多い。
 佐高氏はそれに積極的賛同はされていないが、宮本氏の規制緩和の主張は、数年後にかなり実現し、「日本」の社会をひどく壊したのも、否定できない事実であ。

(ISBN4-06-264853-9 C0136 \514E 2000,5 講談社文庫 2020,5,19 読了)