小林哲夫『高校紛争』

 著者の略歴を拝見して、他人ごと的な記述の本なのかもしれないと危惧していたが、そうではなく、丹念に史実を追ってよく考えられた好著だった。

 1960年代末から1970年前後に、若い人々が自らの頭でモノを考えた時代があった。
 最初に覚醒したのは大学生で、ついで高校生もそれに続いた。
 あれはなんだったのか。

 あれは時代の流行だったという言い方をする人がいる。
 別の時代になればああいうのは流行らなくなったから、いつしか終息したのだ、と。

 それだと、闘った人々は何を考えたわけでもなく、流行に踊っただけということになる。
 ふざけた話だ。
 そんなことはありえない。
 真剣に考え、闘ったことのないものが、そのように評論するのである。
 南無阿弥陀仏と叫びながら信長の弾幕の中を突進した一向宗門徒は狂っていたとでも言うのか。
 圧政を変じて自由の世界を作ろうと明治政府に立ち向かった民衆も、何かに踊らされていたと言うのだろう。
 いかなる不合理を目にしても決して闘わず、安全なところに身をおいて、あれこれ評論する人々など、決して信用できない。

 彼らは偏狭な政治思想にかぶれて、考えなしに暴れたのだという人もいる。
 何が偏狭なのか。
 現実を深く理解しようともせず、弱者が蹂躙されていても、抗う人々を強者の目線で侮蔑するのが、そのような人々である。
 哲学は、考えないことが人間として最も恥ずべきことだと教えている。
 強者の目線からものを見る人々にとって、耳が痛かろうが、現実を見ないことが恥だということは、人類にとって常識である。

 それでは、あれはなんだったのか。

 あれは偽りや偽善を否定し、ものごとを深く考えるムーブメントだったと、今では考えている。
 高校生のとき、ある日登校すると、「教師は人間のクズである」という見出しのビラが、机の上におかれていた。
 ビラの論旨は、自分の言葉で授業するのでなく、決まり決まったことをお経のように教える人間にの存在意義はない、というものだったと記憶する。

 ビラの作者らは現実を果敢に告発し、強く否定しようとしていた。
 彼らの論に違和感も多々あったが、当時の自分は、彼らと徹底的に議論しようという気概はなかった。
 論破されるのは屈辱的に感じられたので、逃げていたと言われても仕方がなかった。

 「教師が人間のクズである」かどうかは、重要な問題提起だったと思う。
 自分の言葉で語れない教師の授業は明らかに、偽善的であり、傾聴に値しない。

 その時代に、自分の通っていた学校では、校長リコールくらいの運動はあった(リコールは成立した)が、それ以上に、どのような学校を作るのかについての、建設的な探求は行われなかった。
 「教師が人間のクズである」と叫ぶだけでは、現実を変えることなど、できないのだ。
 問題は、どういう学園を創造するかだったと思う。

 文部省は、高校生のラディカルな問題提起に応えず弾圧によって対応しようとし、教師の一部は問題提起に伴う若干の行き過ぎを「非行」と捉えて懲戒処分の対象とした。
 教師の中には、高校生のそのような主張を生徒の目線で受け止めようとするものもいたし、生徒の主張や行動を愛情を持って見守ろうとするものもいた。

 われわれがめざしていた生徒・教師が充実したラディカルな学びの場としての学校の創造は頓挫し、「あの時代は一部の生徒による混乱の時代だった」というような形で、歴史は偽造されたが、かつての志を失ったつもりはない。

 おそらく死ぬまでわれわれは、「友よ・・・」と岡林のあの歌を歌い続けるだろう。

(ISBN978-4-12-102149-6 C1237 \860E 中公新書 2020,1,24 読了)

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