磯村健太郎・山口栄二『原発に挑んだ裁判官』

 原発訴訟判を担当した裁判官へのインタビュー。
 語っている中には、住民側勝訴を言い渡した人だけでなく、住民敗訴の判決を書いた人もいる。

 原発の安全性について司法が判断することは、絶望的に困難だと想像される。
 まず何よりも、原発の設計が適切かどうかを判断できねばならない。
 さらに立地が適切かどうか、地震その他の天災に耐えうるかを判断しなければならない。
 加えて、戦争やテロにさらされた際に、住民を安全に避難させうるかも見極めねばならない。

 伊方原発訴訟に対する最高裁の判決(1992)は、司法が判断するのは当該原発の設計・設置が国の基準に合致しているかどうかだけでよいとした。
 これにより、司法は原発の安全性について、自ら判断せずともよくなったが、それで司法の本来果たすべき役割が全うできるかという問題は残る。

 そんな中で本書には、住民勝訴の判決を書いた裁判官が登場する。
 大飯原発三・四号機訴訟第一審(1014)の樋口判事、志賀原発二号機訴訟第一審(2006)の井戸判事、もんじゅ訴訟第二審(2003)の川崎判事である。
 これらの方々は、「すべて裁判官は、その良心に従い、独立してその職権を行い」(第76条)という日本国憲法の規定通り、専門的な内容にも踏み込んで、原発の安全性について判断された。
 このような裁判官がおられることが、この国の司法の希望である。

 しかし、原発訴訟で住民側が勝訴することは稀であるうえ、上級審ではその判決はことごとく覆される。
 ほとんどの判事は、国・企業側勝訴の判決を書いているのが現実である。
 本書に登場する(元)判事は、自分で考えた上で住民敗訴を判断したのだが、3.11の現実を見て、過去に自分が出した判決に疑問を持っている人もいる。

 だがおそらく、ほとんどの現職判事は、このような取材を受けないし、判決について語らない。
 伊方判決に沿う形で判断すれば、上司・上級機関から睨まれることはないし、出世や転勤で不利な扱いを受けることもない。
 その逆だと、不本意な職業人生を送る羽目になりかねないのだから、あなたは「良心に従」って判断したかと、個々の判事を責めるのは気の毒にも思う。

 しかしそれでは、「日本」に三権分立はないと認めることになるなのだが。

(朝日文庫 Kindle本 2019,10,23 読了)