黒田俊雄『寺社勢力』

 公家・武家とともに中世権力を構成した寺社勢力についての概説。

 歴史教科書では寺社勢力について、文化の枠の中で書かれているが、寺社は、広大な荘園や権力や思想の内実をも持つ存在だった。

 寺社勢力は奈良時代に、国家仏教の制度の中で出発した。
 このときには、律令国家の一機構という位置づけだった。
 権力は、官僚機構だけで機能するとは考えられておらず、とくに仏教の呪力が権力の存立にとって不可欠の力と考えられていた。
 したがって、寺院は国家の施設であり、僧は公務員でもあった。

 しかし仏教はそもそも思想体系であるから、政治的存在であることに甘んじるはずもなく、平安時代以降、一定の革新的な動きがあらわれた。
 それが密教だった。

 密教は、顕教と対立する存在としてでなく、僧たちの霊力の研鑽を主な課題としていたから、従来の仏教の思想体系と矛盾するものではなく、また権力とも親和性を持った。
 とはいえ、権力機構に取り込まれることはなく、独自の立場と武力をも備えて、「勢力」として確立した。

 平安時代末以降の念仏・法華の波は、、旧来の顕教・密教(寺社勢力)とは根本的に異なり、権力との親和性をほとんど持たず、庶民の心に訴えて、苦痛と不安に満ちた社会を生きる支えとなったが、この動きは寺社勢力にとって容赦できるものではなく、権力と結んで弾圧にかかったが成功せず、新しい仏教は列島に着実に根を下ろした。

 また同じ時期に興隆した禅宗は新興権力である武家と結合し、新たな寺社勢力を形成した。
 一方、旧来の寺社勢力は、経済的基盤を武家によって侵食されて衰退を余儀なくされた。

 こうした流れも、列島の歴史として、抑えておきたい。

(1980 刊 岩波新書 2019,8,3 読了)