坂野潤治『明治デモクラシー』

 民権運動初期から明治後期に至る期間における、デモクラシー派の論的系譜をたどっている。

 デモクラシー派という言葉は本書で使われていないが、本書で取り上げられている論点に、生活に根ざした民権思想は含まれていないのでこのように呼んでおく。

 民権運動期の論点として著者は、議院内閣制の内容をめぐる議論をあげる。
 一方は福沢・交詢社系の議院内閣制で、政権交代可能なイギリス型政党政治であり、また一方には議院内閣制とは異なり権力への制度的な道筋を持たない「私立国会」を主張する愛国社系であった。伊藤や井上ら政府側は、ドイツ憲法を手本として専制政治の維持をはかった。

 民権期の論点はほほ以上に尽きるのかといえば、そうなのかもしれない。
 例えば困民党は、理論的指導部を持たなかった。
 困民党の運動はたしかに、理論的には未成熟だった。

 困民党参加者の発した断片的な政治的発言は秩父において数多く見られるが、体系化された理論ではなかったし、新聞等で議論が戦わされて論点が鮮明になり、運動綱領が形成されたわけではなかった。
 だからといって、思想がなかったことにはならず、発言の断片から思想の内実を探るのが歴史学の仕事だろう。

 困民党運動は、江戸時代以来の民衆運動の到達点の上に存在する。
 村方騒動の伝統は、小前中心の村落自治を当然とする意識を培ったはずである。
 世直し騒動は、権力が不動の存在ではないことを教えたはずである。

 デモクラシー派が民衆をとるに足らぬ存在と見下したことを問題としても、あまり意味がない。
 著者の論点に学ぶべき点はある。
 しかし、これでは日本列島民の歴史を語ったことにはならない。

(ISBN4-00-430939-5 C0221 \740E 岩波新書 2019,7,8 読了)