NHK取材班『日本人はなぜ戦争へと向かったのか メディアと民衆・指導者編』

 タイトルにあるテーマに迫ろうとする研究者へのインタビューを通して、問題点を解きほぐそうと試みた書。

 満州事変から太平洋戦争にかけての時期については、軍部、特に陸軍上層部や参謀本部の軍人が政財界をコントロールして開戦に持っていったと理解されることがしばしばある。
 泣く子も黙る的な権力を彼らが持っていたのは事実だろうが、それだけで対米開戦に持っていくことはできなかったはずで、本書が切り込んでいるメディアやリーダー個人の抱えていた問題などを、きちんと見なければならない。

 昭和に入ってからの「日本」の致命的な病理は、「国家」より「国民」より、「組織」を優先させて思考する点にあると思われる。
 自分もまた長く、組織人だったから、そのことは身体に染みている。

 戦前のメディアは、売上を稼ぐために、一般国民の耳に心地よく響く文句を垂れ流した。
 そうすることが軍や政府の意に沿うことでもあり、そのこと自体が「国益」であると信じていたらしい。
 実際には国益どころか、国家の破滅に向かうBGMを鳴らしていたのだが。

 一般国民の耳に心地よく響く文句とは、「日本は正しく、日本の思い通りにならない他国は卑劣である」「他国に譲歩するのは卑怯であり、一歩たりとも譲るべきでない」などのコトバであった。
 最も深刻な責任はこれらのコトバに踊った国民にあるのであって、コトバを撒き散らしたメディアの責任はそれに次ぐ、と考えるのは勝手だが、メディアの責任は決して免罪されない。

 太平洋戦争開始前から、敗戦を予測していた指導者がいなかったわけではないが、それを理由に開戦の不可を説いた人は一人もいなかった。
 開戦後も、戦局の挽回が不可能であり、降伏が早ければ早いほどダメージも少ないということを理解した指導者は存在したが、開戦とその後の戦闘行為の責任を負う覚悟は、誰にもなかった。

 リーダーたちの多くは、ここまでやっちゃったんだから、なるようになるしかない的な気分のまま降伏にいたったにもかかわらず、自分の責任は決して取ろうとはしなかった。
 敗戦時の阿南陸相の自決がよく美化されるが、責任を追及させる前にあの世へ逃亡したというのが、実情だっただろう。

 近代の「日本」はかくて、誰も責任を取らない国家になった。
 その構造は、今もまったく変わらない。

(ISBN978-4-10-128375-3 C0195 \520E 新潮文庫 2019,7,8 読了)