吉田裕『昭和天皇の終戦史』

 1990年に公開された「昭和天皇独白録」の意義について研究した書。

 「独白録」が昭和天皇の訴追を回避するための弁明を目的として作成されたという点については、決着を見ていると思われる。
 したがって、その目的に沿う「独白」がなされ、編集されているはずである。

 戦後、支配者階級にとって最大の課題は、昭和天皇の戦争責任回避と天皇制の維持だった。
 彼らにとって天皇制とは、それが自分たちの特権を維持する上で必要なシステムだったからにほかならない。

 もっとも、それは「日本」の支配者にとっての重大事であったかもしれないが、15年戦争により苦痛と損害を強いられたアジア諸国民は、戦争責任を正しく究明し、謝罪し、損害を償ってほしかっただろう。

 しかし、「日本」の戦争責任を裁いたのは戦勝国であり、その中心はアメリカだった。
 中華民国を除き、ほとんどのアジア諸国は裁判に関与さえ、できなかった。

 アメリカは、ある時期から、ポツダム宣言で自ら謳った「日本」の民主化路線を放棄し、ローコストで占領を進めようとする思惑と、裁判を冷戦の一環として位置づけようとする思惑により、裁判を歪めた。

 昭和天皇の免罪は、アメリカと「日本」支配者の両者の思惑が一致したことにより、実現した。
 しかし、開戦のときには憲法の規定により反対できず、終戦の決断は自分自ら行ったという説明は、如何ともし難い矛盾そのものである。
 その点を整合させる課題を解決すべく作成されたのが、「独白録」だった。

 昭和天皇はアメリカの思うように踊ってみせ、「国民」は結局、昭和天皇の逃げを許すことになった。

 「重臣」を始めとする旧特権階級はおおむね、15年戦争に積極的に加担せず、戦争により展開した事態を追認した人が多かった。
 彼らは、戦争責任はあげて東条ら陸軍指導部に押しつけて、自らの責任を逃れた。
 彼らは、昭和天皇とともに、うまく逃げおおせ、戦後「日本」の保守本流を形成した。

 2019年現在、権力の座にある保守の人々は、むしろ戦争当時にメインストリームに属していた人々につながりたい成り上がりが中心のように見える。

(ISBN4-00-430257-9 C0221 P580E 1992,12 岩波新書 2019,3,20 読了)

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