斎藤貴男『明治礼賛の正体』

 政権がいう明治礼賛は富国強兵、すなわち侵略と専制の礼賛である。

 列島民は、福沢とどう向き合うべきなのだろうか。私はいまだ確たる考えを持つことができない。
 福沢のアジア蔑視・侵略主義に辟易するのは、正常な感覚である。
 しかし彼の天賦人権(もちろんそれにも条件がつくのだが)的な考えが、民権思想や大正デモクラシー思想の肥やしになったのではないかという見方も捨てきれない。

 そのような感覚をもつのは、昭和があまりに惨憺たる時代だったからだろう。
 立憲主義・天皇機関説・天賦人権論など、明治時代には支配者を含め通用したまっとうな議論がすべて抑圧され、お話にならない狂気が社会を覆った。

 現在の右翼的な言論には、皇道派の旗振りでありながら二・二六事件ではシラを切り通した連中のようなニオイがする。
 彼らは自分の言論に最後まで責任を持たないだろう。

 それに比べれば、明治はまだ、マトモだった。
 明治を全否定するべきではない。
 明治がどういう時代だったのか、明治から何を学ぶべきなのか、きちんと考えて見る必要がある。

 とともに、例えば『明治の文化』で色川大吉氏が限りない愛惜とともに描かれた明治人の試行錯誤を、もっと掘り起こすべきだと思う。

(ISBN978-4-00-270986-4 C0336 \580E 2018,9 岩波ブックレット 2018,11,20 読了)

月別 アーカイブ