鈴木芳行『蚕にみる明治維新』

 幕末から明治初年にかけての、主として蚕種業の制度を、渋沢栄一の事績を中心に概観している。

 幕末から明治初年にかけての、主として蚕種業の制度を、渋沢栄一の事績を中心に概観している。

 開港までは、養蚕から機織までを個別小経営が一貫して手がけていたのが、貿易が始まったからは養蚕・製糸とそれ以降の工程が分離したというような単純な見方をしていたのだが、それではいけないということがよくわかった。

 桑園作りと養蚕は概ね同一経営であるが、養蚕と蚕種製造は幕末から別経営のケースが多かったという。
 明治以降、その両者はほぼ分離した。

 製糸は、製糸と揚げ返しの二工程である。
 本書は製糸関係について記述していないので、この点への言及はないが、押さえておかなければならない。

 蚕種の良し悪しは、養蚕の成否を決する。
 また明治初年において蚕種は生糸に次ぐ主要な輸出品でもあった。
 政府が蚕種の品質向上に力を入れたのは当然だった。

 すでに世界市場が形成されていた以上、個々の養蚕民が創意工夫を凝らしてよりよい養蚕法・蚕種を求めて競争するという段階ではなかった。
 島村のような先進地の技術を政府の力で普及するという行き方は、不可避だったと思える。

 島村の田島弥平・田島武平・玉井村の鯨井勘衛ら先進的な技術を持つ豪農が、特権階級への上昇を図っていたかのような記述はまったくない。
 だとすれば、これらの人々こそ、日本資本主義のフロンティアと呼ぶべき人々だったといえる。

(ISBN978-4-642-08063-7 C1021 \1800E 2011,9 吉川弘文館 2018,11,19 読了)