山本福義・南雲藤治郎『山と猟師とケモノたち』

 魚沼のどん詰まりである現在の湯沢町で動物を狩り暮らした人の口述。

 今の湯沢町は『東京都湯沢町』と称されるような奇妙な町だが、一昔前は、列島のどこにでもある雪深い奥山山村だった。

 狩りの話はもちろん、興味深いが、私には暮らしの話をもっと突っ込んで聞きたかった。

 暮らしの話は山本氏の語りの中に多く登場する。
 氏の暮らしの基本は、冬の間は動物を狩り、夏は炭焼と日傭取りだったという。
 現金収入の得られる狩りは、暮らしていく上で必要な営為だった。

 「曲がった鉄砲」とか「短くなった金足」とか、今のハンターには考えられないような粗末な道具を使ったのは、それが趣味でなく、生活のための狩りだったからである。

 氏は(鹿・猪以外の)動物は、イワナも含めてなんでも獲った。
 それも、生活のためである。
 食えるものは食糧に、売れるものは売るためだが、なんでも獲る氏だからこそ、動物の生態に関する知識・知恵は、奥深い。
 ここで語られたようなことを知る人は、もういないだろう。
 現代人が自分の知恵と力で生きるという点で退化しつつあることは、明らかだ。

 南雲氏の知識もまた奥深いが、氏の意識は、狩りそのものを楽しむ、現代のハンターに通じる部分がある。
 本書にはほとんど登場しないが、山本氏や南雲氏の暮らしを支えていたのは、やはり奥さんだっただろう。
 その家で、臼を使っていたのが主としてだれだったのか、山の聞き書きにはそこが必要だと思う。


(1979,11 白日社 2018,8,5 読了)