山田亀太郎・ハルエ『山と猟師と焼畑の谷』

 秋山郷から苗場山鳥甲山に登ったことがある。
 ただの観光で訪れたこともあるし、『山村で楽しく生きる』という本を読んだこともあった。

 ここでのかつての暮らしがどのようなものだったのかを聞いた本である。

 山村と言っても、盆地や扇状地周辺である程度の耕地に恵まれたところと、奥山の山ひだに点在し、耕地の殆どないところでは、暮らしの様相は全く異なってくる。

 前者の場合、食糧は基本的に自給でき、特産物が生産できれば安定的な現金収入も得られるが、後者になると、食料の自給がそもそも困難である。
 それではどうやって暮らしていくのか、疑問が生じるかもしれないが、自然物の採取や加工その他賃仕事等により、食を補うとともに現金収入をも得るのである。
 最初にそのようなところに住み着いたご先祖に、どのような意図ない事情があったのかは想像するしかないが、おそらく一概には言えないだろう。

 この本は秋山郷の猟師・山田亀太郎氏の語りを記録したものである。
 氏は夏の間、焼畑やイワナ釣りに従事し、冬はほとんど狩猟で暮らすという人生を送ってこられた。

 イワナ釣りや狩猟を行ったのは、焼畑だけでは生活していけないからである。
 一方、釣りや狩猟で収入が得られたのは、イワナや動物の肉・毛皮の需要があったからである。

 氏の販売先は発哺や熊ノ湯など、志賀高原の温泉地だった。
 そこが秋山郷の猟師のテリトリーだったのだろう。
 発哺も熊ノ湯も、マイカーで気軽に行けるところでなかったはずだが、それなりに客もいて、山田氏たちは真冬の岩菅山を越えて志賀一帯を狩り歩いていたという。

 ところで、熊やカモシカ・テンなどの動物の出てくる山田氏の語りの中に、鹿とイノシシが出てこないのは、面白い。
 秩父の奥山とて、同様に動物を狩る人々がいたはずだが、豪雪地帯でない秩父山地の動物相はより複雑である。

 したがって、暮らしの中で狩りの占める重さや狩りの仕方も、秩父と秋山郷ではずいぶん異なっていたのではないかと思われる。

(1983,9 白日社 2018,7,18 読了)