粟屋憲太郎『東京裁判への道(下)』

 上巻に引き続き、東京裁判における容疑者の選定、731部隊の免責、起訴対象者の選定等に関する事情を紹介している。

  検察局による容疑者の選定は、責任の有無や軽重からでなく、まずその人数を限定するところから始まった。
 その主たる原因は、スタッフ不足だったが、冷戦の深化により、アメリカが東京裁判を早急に終わらせたいと考えたことも、もう一つの原因だった。
 従って、容疑者リストに含まれるかどうかは、責任の軽重と直接の関係がなかった。

 このことが、裁判の正当性にとって、一つの瑕疵であることは間違いない。
 というのは、容疑者リストから外された人々は、責任の軽重に関係なく、晴れて無罪となり、釈放されたからである。

 昭和天皇の免責は、占領政策を円滑に実施するという大義名分が成り立ちうる余地があったが、731部隊・細菌戦・毒ガス戦についてネグレクトされたのは、東京裁判のよって立つ「正義」とは何なのかについて、大いに疑問を感じさせる。

 731部隊と細菌戦の問題を、検察局は把握していたから、石井四郎らの取り調べは当然行われるべきだったが、占領軍参謀第2部(G2)は石井に対する尋問を認めなかった。
 その理由が、石井らが所持する731部隊の実験データを、彼らの免責と引き換えに入手するためだったことは、すでに明らかにされている。

 毒ガス戦について検察局は証言だけでなく、物証も入手しており、立件は可能だった。
 これが免責されたのは、アメリカ軍自身による化学戦の手足を縛らないためだったのだから、二重基準も甚だしい。

 7名が死刑、16名が終身刑、2名が有期禁錮という判決は、起訴されなかった(つまり有罪とされなかった)人々との落差が衝撃的だ。

 公開された調書からは戦犯訴追を目前にした人間模様がみられて、気が重い。
 二・二六事件の大根役者だった真崎甚三郎は、今回はアメリカに対し、徹底的に追従する態度をとったらしく、いうべき言葉もないが、これが陸軍の最高幹部を務めた人物だというのが現実なのである。

 石原莞爾は、堂々と尋問に応じた伝説があるが、自分が企画・実行した柳条湖事件については否認した。
 その理由は明らかだろう。
 笹川良一も、一貫して戦争の正当性を述べたという伝説に反し、自分以外の責任をひたすらあげつらって罪を逃れた。

 巷間言われているのとほぼ同じ姿勢で尋問に臨み、認めるべき責任を認めた広田弘毅が処刑されたことには、釈然としない。

(ISBN4-06-258368-2 C0321 \1500E 2006,8 講談社選書メチエ 2018,3,5 読了)