森山優『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』

 対米交渉と国内の政治過程をていねいにたどることによって、開戦を決定するプロセスにどのような問題があったかについて、分析している。

 政治的なものごとが決定される基本的原理が「理」ではなく、「力」であるということは、事実であろう。
 支配階級にとっては、間違えば、植民地をすべて喪失するのみならず、固有の領土の確保さえおぼつかない上、国土は焦土化し、「国体」がどうなるかさえわからないという対米開戦という決定は、「理」によって考えた方が有効だったはずである。

 「力」による決定をはかるには結局のところ、どこかで妥協点を見出すほかない。
 議論の最終段階において、「落としどころを探る」のは、そのためである。

 右に揺れ、左に揺れてきた議論をリセットするのは容易でない。
 開戦の可否に関していうならば、たとえば、天皇には議論をリセットする権限があったわけだが、それを行使しなかった責任というのは、酷に過ぎる。

 必要なのは、議論の参加者が「理」に立ち戻ることが志向されていることだっただろう。
 決定システムの不透明さは、現在も変わらない。
 最も大きな問題は、そこだろう。

(ISBN978-4-10-603710-8 C0331 \1200E 2012,6 新潮社 2017,12,16 読了)