松本清張『昭和史発掘9』

 二・二六事件決行前夜の将校・下士官グループの動きを、歩兵第3連隊の安藤輝三大尉の動きを中心に描いている。

 二・二六事件反乱軍の主力部隊は、陸軍第一師団・歩兵第一連隊、同・歩兵第三連隊および近衛師団近衛歩兵第三連隊だった。
 皇道派と呼ばれる将校・下士官グループがこれら諸隊の指揮官だったことが、軍による組織的なクーデターを可能にした。

 歩兵第一連隊のリーダーは栗原安秀中尉だったが、同隊の参加率は多くない。
 近衛師団近衛歩兵第三連隊では第七中隊長代理の中橋基明中尉で、中隊ぐるみの参加である。
 歩兵第三連隊では第六中隊長の安藤輝三大尉が指揮を取った。

 当然のことだが、帝国陸海軍において、統帥のトップは天皇であり、部隊が上部の命令なく行動することは、許されていなかった。
 ことに、武器弾薬は天皇のものであり(そのような考え方こそ将校・下士官グループのものだった)、わたくしに使用するなど、ありえることではなかった。

 にもかかわらず、どうして反乱が起き得たのか。

 将校たちは、反乱軍全体が自覚した「同志」として行動したのであり、兵に対し、彼らがわたくしに行動を命じたわけではない、と弁解した。
 しかし、本書が綿密に実証しているように、(初年兵の多かった)ほとんどの反乱兵たちは、自分たちが何をしているのかさえろくに知らされず、上官の命令に従ったのだった。

 そんな中で、安藤大尉の存在は、かなり異質である。
 彼が(将校たちが「昭和維新」と呼んだ)反乱への参加を明言したのは、決行直前の2月23日だったにもかかわらず、多くの下士官・兵が彼と行動をともにした。
 立場を異にする永田鉄山軍務局長からも、絶大な信頼を得ており、彼に殺されかけた鈴木貫太郎侍従長(海軍大将)からさえ「惜しい若者」と評された人格者だったから、彼の部隊に関するかぎり、下士官・兵を含め「同志」だったと言えなくもない。

 クーデターの理論的支柱だった北一輝は体系的な著作を残しているが、北は、自分が糾弾してやまない財界から多額の金銭を受領する、一種ゴロツキ的な人間だった。
 北に比べれば、反乱軍のリーダーは、恐慌下の農村の惨状から「維新」は必至という結論にたどり着いたはずだ。

 安藤大尉は最後まで、クーデターの実行を逡巡していた。
 このような人が何を考えて事件に加わったのか、本書はそこまで掘り下げてはいない。 
 

(1978,11 文春文庫 2017,10,11 読了)