松本清張『昭和史発掘3』

 「満州某重大事件」「佐分利公使の怪死」「潤一郎と春夫」をとりあげている。
 この巻のハイライトは「満州某重大事件」すなわち張作霖爆殺事件である。

 日露戦争後に満州の最初の利権を得た「日本」は、二十一ヶ条条約によってさらに経済的・軍事的侵食を強めた。
 いうまでもなく、満州の主権は中国にあり、当時の中国は北伐を開始した蒋介石によって統一されつつあった。
 北伐は必ずしも順風満帆ではなかったが、国家的統一へと流れる中国のナショナリズムは、止めようがなかった。

 「日本」の戦略は、満州で経済的利権を漸次的に拡大するという方向だったが、関東軍は何らかのきっかけを利用して中国と戦端を開き、満州全域を軍事的に占領し、いずれは「日本」の事実上の領土化することを狙っていた。

 北伐の進展によって動揺し始めた張作霖は、「日本」にとって、必ずしも使い勝手のよい傀儡ではなくなりつつあった。
 「賞味期限切れ」となった張を殺害し、同時に「満州事変」を起こすという意図のもとに、爆殺事件は起こされた。

 この事件は、関東軍が組織的に計画・実行した。
 田中義一首相は、張作霖の爆死をあってはならないこととして受け止め、そのように天皇に報告した。
 昭和天皇もまた、首相と同じような受け止め方だった。
 従って、関東軍が大義もなく戦端を開くことは、不可能だった。

 田中首相は、実行犯が関東軍であると考え、天皇にその旨報告して、犯人を逮捕し処罰しようと考えた。
 それがきちんと実行されていれば、満州事変は起きなかったかもしれない。

 しかし、事件の実態は究明されず、関東軍司令官村岡長太郎、実行犯の河本大作・東宮鉄男らはほとんど罰せられず、彼らが賞賛される雰囲気的さえあった。
 田中首相も、関東軍に事件関係者はいないと天皇に報告し、天皇の不興を買って辞任した。
 なお、辞任後まもなく、田中は死去する。
 田中自殺説を著者は紹介しているが、根拠はない。

 「満州某重大事件」は、柳条湖事件への地均しとしての役割を果たした。

(文春文庫 2017,8,18 読了)