松本清張『昭和史発掘2』

 「芥川龍之介の死」「北原二等卒の直訴」「三・一五共産党検挙」をとりあげている。

 本書で北原泰作氏は、ずいぶんバンカラな人柄に描かれているが、ずいぶん以前に読んだ『賎民の後裔』ではそんな印象を受けなかった。
 しかし、昭和初年という時代に天皇への直訴は、並の人間には発想できないから、スケールの大きな人だったのだろう。

 明治天皇に直訴した田中正造も不問に付されたが、天皇への直訴という行為を問題視すると、責任を取らねばならない人が膨大に出てきてしまうから、北原二等卒も懲役一年の罪を得るにとどまった。
 彼が転向しその後時局に乗った経緯は書かれていないが、彼も全水と同じ道を歩んだのだろう。

 コミンテルンの支配下におかれていた日本共産党とは異なり、「日本」に根ざし「日本」の課題に取り組もうとした全水は、あくまでその課題を追い続けてほしかった。

 昭和初年の日本共産党にとって不幸だったのは、コミンテルンの支部として生まれ、コミンテルンに支配されていた点だった。
 コミンテルンを支配していたのがソ連共産党で、そのトップがスターリンだった。
 この時代の思考パターンは、ソ連共産党が真理を体現しており、各国共産党はソ連に従うべきというものだった。
 この状況下で、「日本」の歴史や現実に即した試行錯誤は、不可能である。

 組織的にも理論的にも、当時の日本共産党は全く未成熟だった。

 一方、国家権力による弾圧も常軌を逸しており、反戦や階級闘争をただ叫ぶ以上の活動ができていない共産党関係者を拷問によって締め上げた。
 未熟な共産党が戦争を阻止するだけの理論や力を持ち得なかったのは、彼ら自身のせいとは言えないだろう。

 社会運動家や宗教家・労働組合などとの反戦ネットワークを築くことができなかったのが、敗因の最たる部分だろうが、この点に関して松本清張氏は深く分析していない。

(1978,7 文春文庫 2017,7,10 読了)