小倉寛太郎・佐高信『組織と人間』

 『沈まぬ太陽』の恩地元のモデルである小倉氏と佐高氏が語り合っている。

 会社の中でどう生きるかはサラリーマンにとって、永遠のテーマである。
 現役でなくなったとはいえ、私もこのような問題を抱えながら生きてきた。

 私の場合、民間企業でなかったし、「出世」をめざす人が職場にあまりいなかった。
 「出世」に魅力がないのは、管理職になったところで、給料が多少増えるだけであまり魅力的でもない種類の仕事量が劇的に増加する現実を見て、自分もやってみたいと思う人が少ないからだろう。

 それでも、良心が試される場面は、しばしばあった。
 歴史を勉強してきた者にとって、ブルーハーツではないが、「歴史が僕を問い詰める」ようなことは、したくなかった。

 あるとき、一人の政治家がそんな私を千人以上の人々の前でなじった。
 その政治家はおそらく、上司に対してもかなり圧力をかけたらしく、上司から、職場の行事のときには身を隠しているようにと指示された。

 その上司は、仕事はまじめで、指示も的確で、力の出し惜しみをしない、尊敬できる方だった。
 私の信条と政治家の板挟みになって、そのように言われたと思った。
 政治家が公教育の内容に介入するなど、あってはならないのだが、近年(2017年)の政治家の中には、教育の中身を監視するのが当然と心得ている者のほうが多い。
 管理職としてそれに抵抗するなど、絶対にできない(もし抵抗したら学校自体が槍玉に挙げられる)。

 私は、上司の指示を諒とした。
 その上司とは、その後も、ありとあらゆる仕事の困難な局面でいい仕事ができたと思っている。

 私もながく組合に所属してきたが、組合員としての自覚はあったものの、ほとんど活動してこなかった。
 仕事が忙しかったのが主原因だが、組合員である同僚の中に、仕事の内容を吟味しようという風潮がほとんどないように見えたことも、活動への参加意欲を削がれた一因だった。

 いい仕事をしたいという思いは、誰にもあるのだが、そのために切磋琢磨するのが教育労働者であるべきだと考えてきた。
 仕事を減らす要求は、仕事の質を高めることと一体であるべきだ。
 そのような考えを全員に強制することはできないが、建前としては、そうあるべきだ。

 いまや、組合自体が存立の危機にある。
 小倉氏の言うような原点にもう一度、立ち返る必要があるように思う。

(ISBN978-4-16-710220-0 C0295 \724E 2009,11 角川ONEテーマ新書 2017,6,18 読了)