阿川弘之『井上成美』

 太平洋戦争当時の海軍指導者だった井上成美の戦中・戦後に関するノンフィクション。
 文庫本で600ページ近いとはいえ、井上大将の業績をコンパクトにまとめている。

 太平洋戦争直前の時期に、対米英戦を主張する陸軍中堅及び指導部と、慎重派の海軍指導部との意見対立があったのは、事実だろう。
 対米英戦を不可とする海軍の中心は、米内光政・山本五十六・井上成美だったらしい。
 とはいえ、海軍が一枚岩だったわけではなく、戦争熱はマスコミ・国民・軍の大半を覆いつつあった。

 本書を通じていえることは、井上がことさらリベラルだったわけではないということである。
 太平洋戦争を通じたこの時期にあって、彼が特筆されるのは、開戦前から戦争のさなか、終戦工作にかけての時期に終始、ブレることなく冷静であり続けた点だろう。

 対米英戦は、装備面・補給面等から勝算はあり得ず、アメリカが要求する中国からの「日本」軍の撤退は、「日本」の敗戦・壊滅に比べれば、やむを得ない選択だった。
 ところが、度重なる謀略を含め、長く続いた戦いにより満州地方をはじめ大陸に地歩を築いてきた(と思っていた)陸軍には、中国からの撤退など考えられず、対米英戦にリアリティがないという現実を直視する能力さえ、持たなかった。

 敗色が濃くなった昭和17年末に、井上は海軍兵学校の校長になる。
 彼は、深く考えずに自分の命を散らす鉄砲玉を速成するのではなく、常識と教養を備えたバランス感覚のある軍人を育てようとした。
 生徒の中には、そのような教育方針を理解しない者も多かったはずだが、結果的にはここで、戦後の「日本」を支える人間が育った。

 高木惣吉らとともに取り組んだらしい終戦工作については、おそらく史料が乏しいのだろう、具体的には記述されていないが、「一億玉砕」路線をかろうじて阻止するのに、井上の力が働いたことが想像させる。

 戦後の井上は、清貧というには貧しすぎる生活を、「武士は食わねど」的に耐え続けた。
 その間ほとんど、過去の戦争指導について、おおやけの発言をしていない。

 井上が存命だった時代は、太平洋戦争に指導的に関わった人々に対し、おしなべて否定する論調が強かったし、旧海軍関係者の中には、海上自衛隊の幹部になって再び海戦の舞台へ出る人々もいた。

 戦争当時、一枚岩だったわけでもない海軍を一言で評価するのは不可能だし無意味である。
 軍の指導者だったから戦争責任があるという言い方は、あまりに無神経である。
 そんな論に対し、言うべき言葉はなかっただろう。

 自衛のための軍隊が必要だとしても、旧帝国海軍の幕僚だった人々には、戦争にいかにけじめをつけて自衛隊を指導するのかが問われるはずである。
 しかし海軍のけじめについて、はっきりした理念が確立されたわけでもなく、結果的にはなんとなく、戦争中の経験がかわれていたようだ。

 責任の取り方について一概に言えないが、きちんとした証言を残すというのは、とても大切である。
 戦後の井上成美の生き方は、どこか不完全燃焼だったような気がする。

(ISBN4-10-111014-X C0193 \705E 1995,2 新潮文庫 2017,6,6 読了)