清武英利『同期の桜は唄わせない』

 太平洋戦争末期に、鹿児島県万世基地・知覧基地などから、沖縄へ特攻機が飛び立った。

 知覧に次ぐ出撃人数を数えた万世基地はしかし、戦後になって忘れられた存在となった。
 特攻隊を志願しながら出撃ではなかった苗村七郎氏は、万世基地の存在を顕彰するために人生を捧げた。
 本書は、苗村氏の顕彰運動の記録である。

 特攻隊の歴史にふれると、隊員たちの生と死の意味について、考えずにいられない。
 命を散らした兵士たちの多くは、10代後半から20代前半の若者だった。

 特攻隊は志願制の体裁をとった強制だったという意見も強い。
 それが仮に志願制だったとしても、志願するかどうかを考える枠組みが限られていたのだから、まったく自由な志願制ではあり得なかった。

 隊員の多くは、自分の意志で特攻隊を志願したと確信しているはずだ。
 特攻隊に志願するということは、自らの死を志願することである。
 自ら選ぶ自分の死が無意味であってよいはずはない。

 彼らのおそらくすべてが、「国を守るため」という大義に、自分を納得させたと思われる。
 彼らにとって「国」とは、自分が育った地域であり、家族や友人を含む人間関係だったのであり、観念としての国家ではなかっただろう。
 そのような思いを無意味だったと評するのは、人間に対する冒涜である。

 特攻隊を顕彰する思いとは、そのようなものだっただろう。

 彼らの死の意味を歴史の中に位置づけるのは難しい。
 したり顔で歴史を解釈する前に、歴史を生きた人間と向かい合うべきだろう。

(ISBN978-4-89831-417-3 C0095 \1500E 2013,12 WAC 2016,11,12 読了)