秩父困民党の組織者だった柳原正男は、事件後服役したが、のちに日清戦争の軍夫として従軍して没した。
その彼がどのような思いで、日清戦争と関わったのかを描いた小説。
柳原正男が秩父困民党に加わり、組織化に奔走した部分はほとんど描写されていない。
だから彼が困民党に加わっていった動機や経緯については、よくわからないままだ。
これは小説なのだから、民権運動の流れに関する一般的な歴史叙述より、柳原正男という興味深い人物の心根について、もっと掘り下げたほうがずっと面白かっただろう。
著者は、正男は禊教徒だったゆえに非暴力主義者であり、武装蜂起に消極的だったという描き方をしている。
記録には、新井周三郎から装備の不備を叱責され、蜂起直後に隊列から抜けたとある。
彼が非暴力主義者だったとすれば、椋神社に武器を携えて出かけることもなかったように思う。
困民党組織化の過程で華々しく活躍した彼が困民党軍から早々に抜け落ちたのは、不審ではある。
椋神社での周三郎との一件が尾を引いた可能性も大きい。
武装蜂起にはほとんど参加しなかった彼が軽懲役6年半の重罪に処せられたのは、蜂起に至る過程で彼が果たした役割を、権力が正当に評価したからに他ならない。
釈放された彼が日清戦争の軍夫を志願した理由については、なんの記録もない。
著者はここで、正男が(日清戦争は)「朝鮮(の農民たち)を助ける義の戦い」だと考えて参戦したという描き方をしている。
柳原正男の心根が一貫して、民衆の生活に寄り添い民衆とともに闘う立場だったという描き方だが、あまりに単純すぎて、ドラマ性に欠けるというと、多くを求め過ぎかも。
そもそも、非暴力主義者だった彼がどうして自ら進んで戦争に参加したのか、論理的整合性に欠け、理解しづらい。
秩父困民党に加わった人々がその後、侵略戦争に喜んで参加したというのが、歴史の現実であろう。
日清戦争は、草の根からの国家意識を扇動する一大イベントでもあった。
自由政府の実現のための闘いと朝鮮侵略への野望が、民権派にも進歩的な民衆の中にも、併存していた。
われわれが直視し、克服しなければならないのは、そうした歴史である。
余計なことかもしれないが、本書には校正ミスがあまりにも多い。
「北海道開拓史」「東洋大日本国国権案」「凶徒蒐集」・・・。
「富山県魚津の米騒動が起こったのは明治二十二年」・・・。
近年の出版物はこんなレベルなんだろうか。